優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

幸せの形

今週は夫の両親が夫の遺品整理のためにやってくる。

遺品整理というと大変に聞こえるけど、夫の部屋に並べられた箱に丁寧につめられたものを3人で取り出して、夫が込めた思いを一つ一つ見て、夫について話す時間になるんだろうな。きっとそれぞれの品物についてこれからどうするとか、どこに送るとか、そんなことは3人の中で誰も決められないんじゃないかな。

 

夫が亡くなってすぐは、3人で集まって慰めあえればと思っていたけど、だんだん亡くなった実感が湧いてくる中で、最初の亡くなって寂しいという感情から、悲しみが強くなってきた。夫の両親が泊まりに来た晩に、悲しみの深淵に3人でどんどん落ちていってしまったらどうしようとも思う。夜も更けて3人でどん底すぎて苦しい時間になって、誰も抜け出す体力がないかもしれない。そんな時は、ちょっと遺品整理は一休みして、テレビ見て軽く夫のことを話ながら一緒に時間を過ごすだけでもいいんだよね。

 

今朝は、用事があって親に連れられて外出した。昨晩から今朝にかけての悲観的な気持ちから一転、ぽかぽか陽気で外に出ると、街にはいろんな人生を背負いながらもカップルや家族で出かける人々がいて、この多様な幸せの形のどれかに、私も夫とたどり着けたんじゃないかなんて感じる。家の近くのドトールに入って、コーヒーを入れてもらう時間を待つ間、夫とどんな試練があったとしても、今ここで一緒にコーヒーの香りを吸い込んでいたら、ふっと幸せを感じられたんじゃないかなんて思う。あの猛烈な感情の乱高下から夫が解放されていれば、たとえ絶望の中にいたとしても、ちょっとした人の温かさや、私と分かち合う何かで、今の私のように、苦しい気持ちの時もあれば、もっと視界が明るく開けて感じられる時間も作り出せたんじゃないか。

 

そんなことも、こんなことも、もうその本人がいないから、考えても悔やんでも、なにもかも意味がない。