優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

夫との別れ

2泊3日の義両親の滞在中、3人はそれぞれの気持ちを持ち寄って、毎晩夜中まで気持ちを吐露しあった。考えていることは3人3様、それぞれの方法でこの大きすぎる苦難への救いの道を求めていた。恐らく胸の中にある感情を書き出したら、3人とも同じ。大切な人を亡くした人は、大体同じところに行き着くと思う。悲しみ、悔しさ、後悔、怒り、憎しみ。これらの一連のネガティブな感情は、大なり小なり持つし、その感情が自分自身に向いたり、他人に向いたりもする。もうひとつある流れが、今後についてのポジティブな感情。切り替え意識、目的意識、割り切り。人との会話の中では、こういった自分の感情の渦の中から、いずれかの感情を切り出して強調する。だから、話しているだけだと、それぞれ違う感情を持っているかのように思う。でも、本当はどの人ももっと心はまだらで、会話で感じるよりも実は混沌としていて、結局は似た心境なのだろうと思った。

話ながら、夫の遺骨の大きな壺が義両親の方にあることや、お墓についても義両親が対応していることは、どういう意味なのだろうと思った。夫が亡くなった直後に、私がお墓を準備する役割を受けることが頭もよぎらなかったのは、やはり配偶者という関係性だからなのだろうか。遺品整理をしていても、義両親は捨てるに忍びない多くのものを持っていってくれた。やはり無償の愛とは、親子の間にあるものなのだろうか。生きている間に力を尽くしたのは私。でも、亡くなってから思い続けるのが親なのだろうか。

義両親との会話では、ときに泣き、ときに笑い、ときに互いの思い込みに閉口しながら、出発の朝を迎えた。今朝起きたとき、私は「義両親が帰って一人になったら、また夫の服を抱えて目一杯泣こう。初日みたいに、また夫に呼びかけよう」と思っていた。

義両親は、「このアパートも見納めか」と何度も呟いた。ここは3人が一番夫を感じる場所だった。良いときも、悪いときも、ここで話し合ったな。3人とも夫のことが大好きだった。深刻な状況なのに、昔夫が言った面白いことや、おちゃめな言動、可愛い甘えん坊な姿に3人で目を細めたりした。ああいう時間を集まって過ごすことも、この場所がなければ、減ってしまう。やっぱり外で会うのとは違う、だらだらとした愛を語る時間が家だと生まれた。

出発の時間となり、義両親は大きな荷物を抱えて玄関に向かった。義両親について廊下を歩きながら、ふと目をあげると、義父の背中に続けて、私の前を歩く夫が見えた。

夫はリュックを背負い、義両親が引き取った紺のジャージを着ていた。頭だけ少しこちらを振り返り、伸びた黒髪の隙間から私を見て微笑んで、「みんみん、じゃあね」と言った。

夫の前を歩く義両親は何も気づかず静かに靴を履いている。ドアを開けて、大きな声を張って別れを惜しみつつ、出て行った。

ドアが閉まって、リビングに戻ると、もう部屋の中に夫の気配はなかった。

ただの、夫のいない家。来客が帰った後の、がらんどうの家。

呼びかける気持ちも、探す気持ちも起こらない。

こんなこと信じたり、考えたことなかったのに、こういう気持ちに自分がなることもあるんだなと思った。

週末に到着したとき、私がこのアパートに夫を感じたのは、夫が確かにここにいたからなのか。夫はずっと、このアパートの中をくるくるウロウロしていたのかもしれない。

今、夫をここで感じないのは、大好きなお父さんと、お母さんと一緒に帰って行ったから。まるで、みんみんの気持ちは煩わせないよと言わんばかりに。

またむせび泣くつもりだったのに、気持ちがちょっとからっぽになって、今、不思議な気分。