優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

パワハラはんたーい!

夫のいない2021年に入ってすぐ、私は会社のトップの方に社内のパワハラについて伝えた。

握り潰されることが嫌で、最終的に誰の耳に届けたいかを考えて、最短距離でトップに直接言うのが良いだろうと思い立ち、メールの「送信」を押した。あまり長いメールではなく、ただ私が職場で辛い思いをしたこと、周囲でもそういう人がいたこと、会社は何の手立ても打っていないことを書いた。トップの方からは、すぐに調べると返信をいただいた。私が信頼するのは、やっぱりこういう人だ、さすが一流だな、と思った。

その後、人事部のえらい方々や、私の所属する部署のえらい方々などとパワハラの経緯について確認した。すぐ今後の対策を考えたいとのことで、人事部と一緒に対策案を作成した。私が声を挙げた勇気を称えてくれながら、これでトップに詳細を報告してくる、と言われたのが2月頃だったろうか。

そこからが長かった。私は、対策案がまとまったら、トップによるパワハラ根絶の声明を社内で発表することと、各種対策を目に見える形で実行していくことを会社に求めていた。しかし、待てど暮らせど、何も音沙汰がなくなり、半年近くが経った。私はこれは放置されたのだなと悟り、えらい方の一人にトップに会いに行きたいと相談した。すると、トップからは来ないでくれとのことであった。えらい方は、そのトップの声を私に伝えながら、「みんみんさん、どうしたい〜?」とまるで他人事のように話された。この人たち一人一人が管理職であり、本来社内でパワハラが生じた場合は監督責任を問われる主体であるはずである。それなのに、私の経験について「私はどっちの立場でもないんで〜」という責任放棄をされ続けていた。どの方も、私と話すときには「あんま関心ねぇなあ」という顔をしていた。「情緒不安定な女はめんどくせぇなあ」と思っていそうだなとも思った。

責任を持っているのに「どちらの立場でもない」と中立に立つことは、無関心という罪であり、責任の放棄というものだ。このえらい方の他人事の口調に、私の気持ちは大爆発した。人事部の面々を思い浮かべて、全員「やってやってる」の感覚で、誰のことも救う使命感なんて持っていない。ちょうどその時も、社内で苦しみ、放置された人の悲しい結果を耳にした頃だった。すべてが悔しくて、悔しくて、気づけば私はえらい方々全員を宛名に入れて、彼らがどれほどの時間をかけて、いかにふざけた対応を私に対してしているか、つらつらと書きまくった。

茶番とは、内容がないものであって、そこに理由や信念なんてないから、全員ccで実態を暴かれた人たちは、また慌てて対応を再開することとなった。

そして、先日、私のトップへの相談から10ヶ月もの時間を経て、トップの方の声明文が社内で発表された。僭越ながら声明文は私も校閲させていただき、トップ含む全員がこれまでの対応に頭を下げる内容としてもらった。今後は、その声明文を受けて、各種対策が実行に移されるはずだ。ただ、それも「はず」なのであって、彼らのことを私はいまだに誠実だとは思っていないし、結局何人死んでも良いと思って、対策の実行も遅々として進まないのだろうなと予測している。

私としては、会社に対する個人的怨恨を一つ晴らすことができた。でも、まったく気持ちは晴れないし、感慨深くもなかったし、夫くんに報告しようとも思わなかった。そして私のこういう何事も追いかけ続けて完遂する性格や、正論をぶちかまして相手を論破する性格が、きっとどこかで夫を苦しめたのだと自覚しているので、昔は好きだった自分のこの勢いも、今や人生に最大の不幸を招いたと感じている。夫だって、いつも「ゴーゴー!」って感じで応援してくれていたのに、どこでどうやって矛先が彼に向いたのだろう?矛先は彼に果たして向いたのだろうか?向けた。向けた時はあった。向けたんだな、やはり。そして向けたことで物事は悪化していった。

でも、今回のことについては、間違った主張であれば、やはり対応はされなかったと思うし、私のように苦しむ人がどんどん減ると良いなと思う。私の苦しみは、もう増えも減りもしないけどね。

開き直りのパンケーキ

ずっと、「書こうかな〜」と思うたびに、暗いことしか書けない気がして、それを書いたら気持ちが晴れる気もしたけど、でももっと苦しくなる気もして、結局前回の投稿から1ヶ月も空いてしまった。

今日は秋晴れの日曜日ということで、朝ごはんにパンケーキを焼いた。私は物心ついた頃から、パンケーキがとても苦手だった。食べているうちにあの水分のなさに喉が辛くなって、数口でギブアップする食べ物だった。それが、夫くんと初めての海外旅行で行ったアメリカのニューヨークで、パンケーキが大好きな夫くんと一緒に話題のパンケーキ屋さんに行ったら、そこのパンケーキがものすごくおいしくて、あのパンケーキアレルギーとも思えた私が、何枚も段々になったパンケーキを我先にと食べまくっていた。普段は夫くんが甘党で、私が塩党。確かそのお店はブルーベリーパンケーキとエッグ・ベネディクトが有名で、夫くんも私も、当然夫くんがパンケーキを主として食べ、私がエッグ・ベネディクトを食べ、合間で「一口いる〜?」とか「交換しよか」とか「ここ美味しいから食べてみ」とか言い合うはずだった。ところが私がパンケーキに夢中になったものだから、パンケーキ大好きボーイの夫くんはさぞかし焦ったことだろう。でもあんなに笑っちゃうほど美味しいパンケーキを2人でにこにこしながら食べた思い出は、後にも先にもあの1回だった気がする。

それからである。私は単身赴任がすぐに始まって、そこから毎週末、朝ごはんはパンケーキを作って食べるようになった。レシピを検索しまくり、パンケーキ研究の達人のようになって、ニューヨークで食べたあの美味しい美味しいパンケーキすら、非常に似通った味のものを自分で焼けるようになってしまった。その後結婚してからは、二人とも週末はせっせとパンケーキを焼いていた。夫くんのパンケーキ熱も相変わらず高く、バナナなどを入れたり、重曹とベーキングパウダーの最適バランスを研究したりしていた。美味しく焼けたパンケーキと一緒に、香ばしいコーヒーを並べて、2人でかちゃかちゃ食べるのが好きだった。

そんな思い出だらけのパンケーキなので、もう焼かないのだろうななんて考えていたけど、やはり週末のパンケーキは私のリラックス法なのかもしれない。ちゃっかり焼いている。焼くようになったのは、9月に入ってからだ。いよいよ生活上のタブーが煩わしくなって欲望を優先させたのか、あるいは単に真夏の暑さが過ぎてようやくコンロの前に立つ気になれたのかもしれない。

今日は全粒粉とシナモンのパンケーキで、チョコレートを少し削っていれた。この薄くて、綺麗に焼き目のついたパンケーキを、こんがり色付けたソーセージと、バターで焼いたマッシュルームと一緒にいただく。マッシュルームには、相変わらず私がちみちみと続けている家庭菜園のパセリとこねぎを刻んで散らした。今日のコーヒーは、夫くんがニューヨークで出会ったイタリア系の方々に憧れて購入したビアレッティで淹れた。この役はいつも作業が丁寧な夫くんに任せていたけど、もう自分でやるしかない。私は本当に作業が雑で目分量なので、きっと夫くんみたいに美味しいコーヒーは入れられていない。

うーん、心の中はおどろおどろしいのだけど、やはりこのブログの前に来ると、ただ幸せだった時間を思い出して、今の自分にリンクしていることも実感することができる。最近は夫くんに晩年投げられたあらゆる図星の指摘や、周囲への失望、自分自身の行き場の無さ、生きる目的のなさに辟易として、ただ下を向いて過ごしている。会社で誰に褒められようと、感謝されようと、私の心が動くことはない。夫くんとの思い出に慰められながら、最後は夫にも失望されてしまった、というぐるぐるの中にいて、苦しいんだ。

人生の救済

最近はある種気持ちが安定している。

安定というのは、人生の過ごし方が定まっているということ。

すなわち、過ごし方としては、仕事しているか、現実逃避しているか、命日までに死のうと思っているか。もうこの三択くらいしかない。

死のうと思う気持ちがどれだけ深刻なものなのか、実は自分でもわからない。絶対的な救いのように見える日もあれば、本当にそんなことできるんだろうか?と思うこともある。でも自分に問いただした結果、死ぬ必要がない、という結論になることはない。やはり生きる意味を見つけられていないのだと思う。

あんなに家族思いで、人に優しく、感情移入の塊だった私だけど、やっぱり私自身が生命力を持っていなければ、周囲への気遣いは私自身に意味を成さない。もう数週間、実家からの連絡も、既読すらつけず、返信ができない。義実家から一周忌に関連した連絡もあったけど、一周忌に会うことがあまりに苦痛のように思えた。この義両親に、今更どんな表情で、どんな態度で会えば良いのか。この自己愛と自己中心的思考を貫徹させた二人に。

私という人物の生きる目的が成り立たない時、最も近しい人への気遣いすら苦痛となる。これは、夫にもあてはまったと思う。夫が自分に対する肯定感とか、人生の幸福感を感じていない中で、ただ私に対する愛情に拠って生きる意味を見出すことは難しかったと思う。だから、夫があんな形亡くなった=私を愛していなかった、と考えることは短絡的かなと思う。彼が彼自身を愛せていなかった、自分が生きる意義を感じられなくなっていた中で、私を愛すためだけに生きて欲しいと願うのは、傲慢であり、間違いだと私は思っている。むしろ、彼に生きて欲しいと私が願うのであれば、彼が生きているうちに、彼が自分を認め、肯定できるようになるために、私自身がもっと力になれれば良かった。そういった方向に私の後悔はある。

きっと遺族の後悔には、それまでの経験を踏まえ色々あると思うけど、私自身はまずは夫の自己救済。これをもっと支援できればよかったのにと思う。実際にはそれを妨げたり、逆行するような冷たい言葉を、幾重にも放ったことに私の悔いがある。

夫が亡くなってからしばらく、同じように死別した方のブログを熱心に読んでいた。何ヶ月目には、こんな心境だったのか。よしよし、同じペースで進んでいるぞ、とか、あれ、ちょっと出遅れたかも、など、随時比べていた。その方の旦那さんは突然死。私の夫の状況とは違う。でもブログ主の考え方が、私とシンクロするように思えた。私自身、神経質なようで(自分に甘いために)楽観的だったし、夫が死んだことはもう取り返しようがないので、私が生きるのであれば、私は将来再婚して、きっと子供を産む。それでもって私は救われると思っていた。

でもそんな比較も、ここ数ヶ月でやめた。その方は、死別から1年未満の今頃、新しいパートナーに出会っていた。出会った理由は、私にもよく理解できるものだったし、私が彼女だったら、きっと同じように惹かれただろうと思った。でも、今の現実の私と比べたら、私は全然その境地に達していなかった。大体、夫は男性100人並べた時に、そのうち95名が標榜するタイプと違って、残り5名くらいの不思議な人だった。きっと、夫を重ね合わせているうちは、世の中に似た人なんて見つけることが難しいくらい、独特な人だった。

それでも、きっと新しいパートナーを見つけて、子供を産めば私は救われる、という発想は私の深層心理に根強くある。つい数週間前、夢を見た。赤ちゃんを産んで、私のお腹に生まれたてほやほやの赤ちゃんが乗せられて、私はとてつもない幸福感を感じていた。その赤ちゃんが誰の子であるとか、その後どんな親子になるといった情報はなかった。ただ、日々感じているこの絶望感が、お腹に乗ったその赤ちゃんによって、溶かされるほどに癒される瞬間を体験した。

きっと私は、私自身と奇跡のように思考がシンクロして、この世で想像できないほどに美しい思考をした夫という人物が亡くなったということで、もう「夫」という存在には期待していないのかもしれない。夫ほどに私を魅了して、一挙一同で私を感動させ、苦しみの果てに至ってもその美しい人間性を感じさせてくれる人は、きっとこの世に存在しない。それに似た人、彷彿とさせる人はいる。でも、私にとって夫を超える人は、これまで存在しなかったし、きっとこれからも、存在しないのだと思う。

でも、その先にある子供というもの。私がずっと追い求め、望み、夫を苦しめた「子供」という存在は、きっと私にとって今もなお救いになるのだと思う。

赤ちゃんが生まれれば、私はまた最大の生きる意味を得るだろう。

パートナーとしては、きっと生きる意味ほどの人に出会うことは、きっと私のひねくれた嗜好では、無理だろう。パートナーがいなくても、私の子に出会うことは可能なのだろうか。

今のところ夫の命日を様々な判断の期限としているけど、それまでに自分がどの道に進むのか、先を見通すことはできない。それは、日々変動し、今もまったく予想ができないのであーる。

 

風に吹かれて

月に一度、とんでもなくどん底に私を落とす奴がいる。

生で始まって理で終わる、そう、生理というもの。

月命日とか記念日なんかももちろん苦しみもがくのだけど、生理の始まる直前と最初の数日は、本当にハンパない威力がある。今回は、死ぬ日を決めて、それまでのやることリストを書いて、死に方を調べていた。もちろん死ぬ日はかなり先に設定していて、段取りも世の皆様に迷惑をかけぬようかけぬよう考えて、そして死に方は、えーっと、痛くなくて、確実に決行できて、できれば死に様が綺麗な方がいいなとか考えるもんだから、結局決まらなかった。そんな死に方は、なかなかない。夫くんみたいにスマートに美しく死ねることなんて、まずないから。ネットにはさも全ての亡くなり方を熟知してるかのような先輩風吹かす奴がたくさんいて、「この死に方はこうなる」とか偉そうに言っているのだけど、死に方なんて様々で、夫くんは、とても綺麗だったな。

死ぬまでにやることリストを考えたら、一つ目は「会社のデスクから私物を持ち帰る」だった。なんでかなって思ったら、私は自分の親のことを考えているみたいだ。もし私がいなくなって、親が私のデスクの私物を取りにいかなきゃいけなかったら、すんごく惨めだろうなと思って。今の私のデスクは夫が亡くなる前のまま、引き出しにぎっしりお菓子が詰まっていて、こいつは絶対人生の悩みはないだろうなって感じの能天気なデスクだから。しかも不衛生にコップとか洗わないまま突っ込んであるし、歯ブラシもそのまんま剥き出しで入れてるし、真っ先に片付けなければと思った。そして、娘と同年代の輝かしい女性たちが働く姿を見たら、きっと失神するほど辛いと思ったから、とにかく職場は出向く必要のないよう、綺麗さっぱり跡形なくしなくては、と思った。

いくつかリストに書きだすと、私にも逃げ場がないわけではないのだ、今後平均寿命までの50年をただ悶え苦しんで生きなくても良いのだと少し安心して、止まらない涙も乾かすことができた。その後は買い出しのために外出して、夜になって帰宅した今は、日中とは少し気持ちが違う。「えっ、死にたいかって言われると、まあ冷静に考えて生きてる意味ないけど、やっぱ死ぬのは怖いっちゃ怖いな」という感じである。こうして生理3日目が終わる。恐らくここから先は、また1ヶ月後に生理さんと出会うまで、この恐ろしく落ちた気持ちはお預けである(多分)。それでも時には関係なく悲しみの底にたどりついてしまうこともあって、そんな時はただ朝から晩まで横になって泣いて、泣いて、泣きまくっている。

そういえば今日、気持ちが切り替わるきっかけが何だったかなと思い出すと、もう一つあった。もともと私は家では音楽をかけているのが好きで、spotifyやらyoutubeやらでいろんなプレイリストを常にかけていた。でも、夫が亡くなってから、思い出の曲を聴くのが恐ろしくて、死別後に自分から選んで聴いたのは、夫とは聴いたことがなかったオザケンだけである。でも、やはり静かすぎる空間も辛いので、ラジオを小さな音で流すことが多い。今日も泣いていると、ボブ・ディランのBlowin' in the Windが流れてきた。この曲は、私たちの交際前の思い出の曲だ。私からお誘いして数回デートやメールを重ねた夫くんに、そろそろ告白したいな!と思った。少し斜に構えている夫くんには、しゃれた告白をしないとなと思った当時大学3年の私は、終電間際の大学近くので駅で「私があなたに告白したら、なんと答えますか」と聞いた。夫くんは、「わかりません」と答えた。私はフラれたのかと思って、とても落ち込んだ。次回会った時、夫くんが私に同じ質問を返してくれた。「僕があなたに告白したら、どうしますか」。私は単純なので、気づけばムードもくそもなく、「付き合うに決まってるじゃないですかっっ!!!」と答えた。そして夫くんはその日、私にボブ・ディランのCDを貸してくれて、○番目の曲に答えがありますよ、と教えてくれた。それを聴くと、答えは風の中にあると歌っていた。その意味は全然わからなかったけど、私は家に帰ってから、にたにたと笑いながらその曲を何度も聴いた。彼はこういう音楽が好きなのかあ、これカントリーっていうのかなあ?(フォークらしい)。こんなゆったりした牧歌的な音楽を聴くなんて、なんて素敵な人なのかなあ、と思った。あの時は曲の意味はわからなかったけど、今日ラジオから流れてきて、感じ方が変わっていた。こんな風に死に別れてしまって、夫くんを想ってひとりで泣いてると、やけにしっくりとくる曲だった。まさに私の心の隙間にすーっと軽やかに入ってきた。人の器を亡くした後は、夫くんは風がよく似合うなあと思った。のんびり、ゆったり考えればいいんだよ、って夫くんが言ってくれているような気持ちがした。

この部屋に引っ越してきて、最初の晩、引っ越しを手伝ってくれた両親や、なぜか同乗して部屋をチェックに来てくれた祖母も、夕方には帰宅して、私はこの部屋に一人きりになった。しばらくパタパタと忙しくしてみたけど、ふと横を見ると夫の小さな骨壺があって、私は動きを止めた。思わずすっと息を吸い込んで、夫の骨壺を胸に抱えて、抱きしめた。普段は目もくれない骨壺。夫と思っていないはずの骨壺に、あの日は確かに夫を強く感じて、何か決心して抱きしめた気がする。そういえば、昨日でここに引っ越して1ヶ月だったんだ。今この瞬間に書いていて気づいた。私たち、頑張ってるな。夫くん、いつも優しい気持ちにしてくれて、ほんとにほんとに、ありがとう。

 

2回目の美容院

今日は死別後2回目の美容院に行ってきた。

私の美容師さん(吉川ひなの似)はスーパー可愛い上に、接客業を心得ているのだなと感心する。私に対して、困るような質問や、ましてや慰めなんて、皆無。いつも万人受けしそうな話題を振ってくれる。それは楽しているように見えるかもしれないけど、そうでもないと思う。美容師さんだって、自分がしたい話とか、自分自身の話をした方が、ずっと楽だと思う。そこを超無難な話題で今日は3時間もつないでくれた。プロ意識がすごいし、職人だなあと思う。見た目からは、惑わされてしまうほど可愛いんだけどね。いつも良い時間を経験させてもらって、ありがたい場所だなあと思う。

今日の美容院のメニューは、カットと、カラーと、ハイライト。実は夫が生きている時は、基本的にカットしか頼まなかった。それは、夫と私ですごい家計管理をしていたから。もともと家計簿はつけてなかったけど、夫が疾病の影響で散財した時期があり、見かねた私が食費、日用品、デート代、2人のお小遣いを設定した。体調が回復していた時期の夫は、かなり難易度の高いその金額枠を、ゲーム感覚で乗り切ってくれている感じがした。本当にいろんな場所にせっせと買い出しに行ってくれた。ホワイトデーのデザートに、ミントの葉の代わりにプランターに私が栽培した「せり」が添えられたのは、その最たる事例だ。おかげで私の給料からは想像できないほど、とんでもない金額を貯金することができた。なにもかも、夫の几帳面で徹底した性格のおかげである。でも、このところ私自身が洋服に美容に家具に散財しまくっていることを考えるたびに、夫もまた、散財することで乗り越えられる苦しみがあったのだろうなと思って苦しくなる。今の貯金はすべて0になっても良いから、夫に散財を重ねて欲しかった、きっと遠慮しすぎて辛いことが多々あったのだろうと悔いが止まらない時間に陥る。

男女の差というものは、私にとっていつまでも憎いものだ。私と夫の場合、きっと私が男で、夫が女であれば、今の全世界的なコンテキストの中では、より幸せに生きられたと思う。私が女であったばっかりに、そして夫が男であったばっかりに、あらゆる社会的制約に縛られてしまった。そしてそれは、お互いの評価というよりも、きっと私と夫それぞれの自己評価に大きく影響した。私が夫を「男のくせに」と言ったことは一度もないし、夫が私に対して「女の分際で」と言ったことももちろん一度もない。2人の間では、ジェンダーというものは、なかったと思う。それでも、それぞれの中で、やはりひとりの人間としてこの2人の関係性に貢献したいという気持ちはあったし、それが自身のジェンダーと結びつくこともあったと思う。夫は、男であることに呪われてしまったのかなと思うことがある。

夫ほどに女性を見下さない人は見たことがない。性別に対する偏見を感じたことが一度たりともなかった。それは、人種差別などの研究で使われるimplicitの域においても、まったくなかった。とにかく夫から偏見とか差別を感じ取ることは、一度もなかった。夫は、きっと自戒的に言い聞かせてとか、implicitな自分の意識を努力して変容させたのではない、生まれながらにして、男女差への偏見がなかったのだと思う。そのことに私は今でも感嘆の気持ちが止まない。

でも、夫は病に陥る前後、義母の言葉も借りながら、自分を「男なのにこんな状態だ」と卑下していたように思う。「男たるもの」と幼少期から青年まで繰り返されていた言葉は、そう簡単には消えない。私が新たな正解を入れることも叶わず、もしかしたら私すら夫の男としての理想像と比較した言葉を繰り返していたのかもしれない。きっと、そうなんだ。夫が亡くなる前の数ヶ月は、とにかくなんでもかんでも責めていたように思う。「えっ?」って思って欲しいとか、「みんみんからこの要望が出るとは、相当だな」と思って欲しくて。結局どれもその意図は果たさず、ただ夫を傷つけて終わった。

今日美容院で、髪を染めて手持ち無沙汰な間、ケータイをいじっていた。途中でなぜかネットワークが悪くなり、ネットサーフィンは難しくなった。ただケータイを目の前において、待っていた。こういう静寂の時間は、実はとても苦しい。夫が美容院終わりに電話をくれた声を思い出した。「みんみーん!そろそろ終わった?かわいくなった?みんみんの髪型見たいから、僕いま表参道歩いてるよ〜」と。そんな夫のあどけない声が頭に浮かんで、抑えたいのに止まらなくて、鏡の前に置いたケータイを眺めて泣いた。

「シャンプーさせてもらいますね!」というアシスタントさんの声でハッと現実に帰った。

夫にはもう2度と会えない。あんなに暖かい言葉をかけてくれた優しい夫は、壮絶な死を遂げてしまった。そんなことを、シャンプー中も、その後のショッピング中も、帰宅してからも、寝る前の今も、ずっと考えている。

ナウシカとテト

びっくりである。

ここ1ヶ月くらいで、夫の大好きなオザケンは週刊誌に載り、また夫が愛したフリッパーズギターの小山田くんもてんやわんやで大変なことになった。正義感みなぎる元来の私はもちろん世論の大多数と同じ心情なわけだが、夫のことを思うと、小山田くんが不憫に思うところもある。それは、このところの記事の内容とかとはまた全く別次元の、何か、表現しがたい、何か。きっと世の中は、本当にいろんな人がいて、法律という一つの軸で統制しなければ大変なことになるのだけど、統制する権利は本来誰にもなくて、でも統制しなければひどいことが起こって。でも、善悪の判断がなかなかつかない人もいる。善悪の判断がつきながら、見てみぬフリした人が、一番悪どいとも思う。一定の倫理観を持っていながら、それをミュートさせて発動させない人が、一番の確信犯だと思う。一定の倫理観を持っている人は、きっと自分がいつか犯罪を犯したり、世間から敵対されることなど想像もしないと思う。私が夫と苦しんでいた時に、重ねているのかな。世の中のいわゆる常識的で、倫理観を持った人に、噂され、批判され、告発された時間。法治とは何だろうと思いつつ、法が精神障害に理解を示していることを知って、法とは侮れないなと同時に思った。最後の砦としての法が、自分たちを理解してくれていることに、感心したんだよね。

その後の私の一人暮らしは、なんとかなっている。良いことばかりではない。色々と複雑に思うこともあった。悲しく思うこともあったし、まあ7割は悲しいことだ。でも、3割くらいは、夫のことを思って心置きなく涙したり、夫が喜んでくれるかなとおしゃれなライフスタイルを実践したり、誰に共有するわけでもなく、夫が好きそうな生活感ない日々を送っている。

引っ越した直後、家の中で色々な不具合が出て、修理屋さんが来た。修理屋さんは、思ったよりとても若かった。相手も顧客が思ったより若いことにハッとしたらしい。修理屋さんは、修理をしながら、自分の年齢やら年収やら貯金やら出身やらマッチングアプリの登録状況やらを教えてくれた。会話が全てマッチングアプリ的で、私の考え方や嗜好などを質問された。「ここ、ひとりで住んでるんですか?家賃いくらですか?結婚したいとか、思わないですか?僕、子供欲しいなって思うんです」と話してくれた。最後に、「これで修理が終わらなかったら、また個人的に来るので」と言っていた。きっと、私がそれに乗ったら、そうなっていたのだろう。

わかったこととしては、市場価値という意味では、まだあるみたいだ。それは前からもわかっていたけど、要するにそういうことなんだ。だからむしろ、安売りをしない方がいいし、安請け合いしない方がいいし、一時のなにかに流されたら後でひとりでものすごく傷つくのは自分だろうなと、実はこのところとても実感した。幸いにして、そのものすごく傷つくところには至っていない。でも、今自分がいわゆる脆弱な身分であるということを、一人暮らしして、改めて実感した。そして、脆弱な者は、よく餌食になる。

夫は、強い私を好いてくれた。夫は性別というものへの偏見が本当になくて、私が生き生きとすることを誠心誠意応援してくれた。私は、「女性だから」という理由で、男の人に利用されるのは、嫌だ。夫だって、そんなことは一番いやだと思う。だから、しっかりしようと思った。

修理屋さんは、実は今回の主たるテーマではない。修理屋さんは、誠実な方で、相手を探してはいたけれど、堅実でとても良い人だった。きっとお付き合いしたら、優しくて可愛い人なのだろうなとも思った。本当の私の主眼は、このところ起こった色々な他のことにある。ここでは書かないけれど、とにかく誇り高く生きようと思った。私の自己イメージはナウシカで、夫はテトなんだ。前を向いて生きよう。斜め上を向いて生きよう。きっとテトも肩からそう言ってくれている。

誰にもわからない

前回記事を投稿してから、また時間が流れた。

その後私は、予定通り、新居に引っ越した。まだ引っ越しほやほやだけど、なんとなくやっていけそうな雰囲気を感じている。

夫が亡くなった直後に、2人で暮らしていた社宅にひとりで泊まった時を思いだした。夫が亡くなってから初めて、涙を流さない夜だった。夫に見守られているような感覚。まったくの1人ではない、何か温かい気持ち。夫がそこに見えなくても、夫と一緒にいるように、息を吸って、寝食を共にし、1日を終える。外出する時のほうが、孤独感は強いかもしれない。部屋にいる時は、そこまで孤独な気持ちにならない。

すごく逆接的で、想像しにくいことだと思う。誰かと一緒にいない時間の方が、孤独を感じない。誰かと一緒であったり、一人きりの自分を誰かに見られる時間の方が、孤独を感じる。それは大自然のコテージとかに住む人も同じかもしれない。ひとりで住んでいる時は、静かに穏やかに、まるで理想の余生のように、心地良い時間が流れていく。でも、人が溢れかえった街中や都会に出ていくと、孤独を強く感じる。

実家にいる時のほうが、何か焦燥感を感じた。きっと、亡くなった夫と生きる自分を肯定できなかったから。親に何か言われたとか、おばあちゃんが何か言った、とかではない。でも、食卓に夫の写真を持参するのは最初の数回でやめたし、寝る時に横に置くことも数ヶ月でやめた。なんだか側から見た痛々しさを意識した気がする。でも、一人暮らしなら、何をしても大丈夫。ちなみに、夕食時は必ず夫のはがきサイズの写真立てを食卓に置いて、夫が好きな飲み物や食べ物を口に運ぶ度に、「食べちゃうよー!」とか、「おいしいかなー?」と声をかけている。写真の夫はぴくりともしない。でも、頭の中では夫が返してくれそうな反応がある。

側から見たら、ものっすごく寂しく見えるだろう。虚しさいっぱいだろう。ちょっとこの子は大丈夫かなと心配になるだろう。ところがどっこい、今の私は、こうしていることが一番安らぐことに気づいた。今日だって、寿司のパックを近くのスーパーで買った。夫が大好きなサーモンの握りが入っていることと、夕方で40%オフだったことが決め手だ。帰宅してから、「まさか醤油がついてなかったりして〜」と夫の写真の前で言いながら、そのまさかだったので、黙って調味料を荷ほどきできていない段ボールから探した。醤油は今ストックがない。冷蔵庫もまだないので、当たり前か。そこで前から夫が買い溜めてくれていたナンプラーがあることを思い出した。そして、江戸時代に醤油ができる前には寿司は塩で食べていたとかいう中途半端な知識も思い出して、ナンプラーと塩をテーブルまで運んだ。

パック寿司の食べ方。よく、夫ともケーキで何から食べるか、話したなあ。夫は元々は大好きな苺から食べちゃう派だったけど、きっと私と交際するうちにどんどんみみっちくなって、最後は苺を5等分くらいして食べる人だったかもしれない。私は、「みみっちい人間ではありません」と示すことに必死な人間なので、本当は最後まで苺を残したいくせに、充血した目で苺を見ながらあくまでも自然体で苺を残していますという体でスポンジを2/3食べ、そのあたりでみみっちく見えないように苺を丸ごと食べるような性格だ。でも、夫と私では、お互いこのみみっちいのがとても庶民的で、人間くさくて、愛おしくもあって、夫なんてその五等分した苺の一番赤くて熟れてるところを私に一生懸命くれるような可愛すぎる人だったので、全部懐かしい。全部愛おしい。

話はパック寿司に戻る。問題は夫が好きなサーモンをいつ、どういう味付けで食べるかだ。それは簡単。1個目から食べる勇気はない。このナンプラーの寿司がどんな味か吟味してからでなくてはならない。サーモンを最高の状態で食べられずに終わることだけは避けたいからだ。9貫ある握りの中で、中トロ1貫、マグロ2貫、カンパチ2貫、エビ1貫、いくら軍艦1貫、サーモン1貫、帆立1貫である。皆様なら、どれからいくだろうか?私は、迷わずカンパチ×ナンプラーからいった。その次にマグロ×塩を試した。ようやく3貫目で、「夫くん、サーモン、どっちでいく?」と聞いたら、時にびっくりの冒険性を持つ脳内夫くんが「ん〜、ナンプラーでいこか」とクールな感じで言い放った。だから、サーモンは3貫目にして、ナンプラーで私に食された。

「いっただっきまーす!」と写真を見て言いながら、食べる。味わっているのは、私。でも、本当は「おいしい?」と聞きたい相手は、夫くん。色々な感情が入り乱れているので、食べながら、しばし泣く。何をやっているのだろうかとか、なぜ夫くんがここにいないのだろうかとか、ここにいたらさぞかし喜んで、美味しい、楽しい、幸せといって、私ににっこりほっぺをピンクにして微笑んでくれるだろうと思いながら、泣く。でも、この食事中に泣くこと自体、実家ではできないのだ。今は食事中に泣きたくなることが私の自然体なので、やっぱりこれが、一番しっくりくる環境な気がする。

さて、まだこの生活が始まって数日。このところは、一時のように「今すぐ息の根を止めてほしい」という気持ちは納まっている。この後、どうなっていくのかは、誰にもわからないのである。