優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

思うようにいかない

死別直後から一生懸命書いていたブログだけど、すでに自分の中にある考えは一巡書いてしまったし、自分の近況報告をするにもあまりに変わり映えのしない地獄にいるだけなので、躊躇して書かない日々が続いていた。でも、今日は週半ばの祝日ということで相変わらずタスクもないし、久しぶりに最近の自己分析をしたくなって書いてみることにした。

前回の記事は11月の一周忌の直前。その後一周忌が過ぎ、年末が過ぎ、すでに2月も末である。まもなく死別から2回目の私の誕生日がやってきてしまう。

最近の私といえば、全く変わらない。面白いほどに変わらない。死別直後の自責地獄は減ったと思う。それは、単純に自責が苦し過ぎて、もう自分を追い詰められなくなった。その気力がなくなった。それよりは、もっと生ぬるい自責をしている。そして、悲しみも生ぬるいところで流している。1日1泣きくらいの流し気味の日々。その中途半端さも嫌で、時々夫くんがいない現実に向き合おうとするんだけど、その先には恐ろしいブラックホールがあって、ひるんでしまう。そこがしっくりハマって闇に放り込まれる生理前の1週間は、ブラックホールの住人として死神のような顔をして過ごす。その時だけ、逃げずに向き合っている感じかな。うちひしがれて苦悩と悲しみで変な声がでる。言葉にならない。

こういったものにも慣れとか順応のようなものはあるのだろう。私の場合は、死別から日が経つにつれて、もう悲しみきったし、後悔しきったし、それでも夫くんが蘇るわけではないし、もう疲れたな、という気持ちになってきた。ふと気を抜いたらこの虚しい疲労感から命を絶つんじゃないかなと自分で思うことがある。それは、毎日、いろんな街中のシチュエーションでイメトレをしているし、勝手に体が今動き出すかも、と思っている。でも、死ぬのは怖いし、痛いし、恐ろしい。そして突発的にならできるかもしれないけど、身の回りを事前に整理整頓するのは相当な気力や責任感がないと無理。誰かに「引き金引いたかな」とか「私のせいで。。。」とかあとから誤解させない方法にしたい。事故物件だって生み出したくないし、だからと言って誰にも気付かれずに死にたいかというと、ちょっと構ってほしい気持ちもある。ちょっと気にしてほしい。ちょっと心痛めてほしい。今の私の辛さを誰かにわかってほしい。でも、今の私が経験しているみたいな永久的な何かを誰かに託すほどの衝撃は生み出したくない。とても乙女心が複雑でしょう笑 本質的には自分自身の話で、私自身がふっと意識を失ってそこで人生が終われば良い。周囲には気付かれずとも本当は良い。でも、気付かれないために山奥まで行くとか無人島で逝くほどの気力は私にはない。普段でさえ大自然とか雄大な山とか海のしぶきとか怖くてあまり近づけないのに、このときだけ一人で果敢に向かうなんて無理。そこはデジタル世代なのでスマホボタンひとつで済ませたい。「お決まりですかー?」「じゃあシュンといきますねー」とかスマホの向こうで対応してもらって、そのまま消えられる。そういうお手軽さを求めている。

なんで疲れたかって、やっぱり願っているものがどう頑張っても手に入らないから。これまで頑張り屋で色々手に入れてきたから余計かもしれない。私が願っているのは夫くんと一緒に生きる幸せだったから。夫くんに関係ない幸せならいくらでも作り出せる。別に全ての扉が閉ざされたわけじゃないってしっかりわかる。でも、夫くんとはもう生きられない。そこを駄々こねたってわからずやだなという感じだけど、それが欲しいんだもの。夫くんをあんな形で苦しませて死に至らせたこと、受け入れてもいないし、諦めるなんて到底できない。そこで食い違って疲れてきた。何か自分の意識の転換とか治療でこの心境から抜け出すことも望んでない。抜け出したらもうそれは私じゃない。ただ生きることを目的とするサイボーグになってしまう。私の心に忠実であろうとすると、生きることがとても疲れる。思うようにいかない人生とは、本当に難しいな。

桜の木

私がこのブログをはじめたのが2020年11月。もう1年になる。と言うことは、夫が亡くなってから、まもなく1年だ。

亡くなった時から今まで、以前の私と変わった様子も確かにあるのだろうけど、一応私は有給休暇でいえば年間で1.5日ほどしか取らないほどに皆勤賞で働き、しっかり3食食べ、週末は気絶するほどしこたま酒を飲み、毎晩泣きに泣いて、そのまま全てを振り切って死にたい気持ちになりながらも、また翌日の会社では自然体で笑ったりしながら、朗らかに過ごしている。あれ、文末にいくほど危ない感じだけど、まあ、そんな感じに命をつないでいる。

2日に1回は、死なないといけないのに、死なないとこの先もう何もないのに、と頭をよぎる。夫が私を呼んでいるとか、死んだら会えるということはあまり考えていない。いざ実行することがあれば、それも理由に入れるのだろうけど。でもそんなことよりも、死別から今までずっとあるのは、愛する夫を自分が死に至らせたということ。それが耐え難く苦しい。起こってはいけない、最も悲しく辛い出来事が起こった。そんなことを私自身が起こしてしまった、という気持ち。

そして今この世に生きている誰しもが、夫の生きる力にならなかったこと。これもシンプルに世の中への憎々しい気持ちにつながっている。別に日々憎々しい気持ちで外を歩いているわけではないのだけど、やはりこの世の誰も力になってくれなかった、と思うと、人というより、この世界、世の中、社会、そんなものが嫌で嫌でしょうがなくなる。街中で人に優しくあろうとする気持ちも薄れてしまった。自分が一番辛い、と思い込んでいるからなのだと思う。

もっと具体的な怒りが止まらなくなって、悲しみと怒りを誰かにぶつけたいばかりに死にたくなることもある。夫を差別し、躍起になって追い詰めた社宅の人々を思い浮かべたり、リベラルを自称しながら最後に権力という鉄拳を振り下ろして去っていった医師。「支えてくれた」という気持ちを最後まで与えてくれなかった、夫の両親や、私の家族。その誰もが、歯が折れるほどの悲しみと怒りを私の中に生み出すのに、今更何か行動したところで、夫は帰ってこないという、どうしようもない現実。最後に残るのは、虚無感。

こんな悔しさ、悲しみ、怒り、絶望がぐるぐると展開しているまま、まもなく私は死別から365日を過ごしたことになる。よくやってきたな、オイ、というくらいに、壮絶な経験だ。ずっと頭の中でパンクロックの絶叫が流れているくらいに平静を保つのが難しい状態だ。今の自分が病的かどうか、という問いは日常的に自分でも気になるところで、ふと考える。でも、やはり何度考えても、夫が死んでるのに私が早急に生きる希望を持って立ち直ったり、「夫がきっと見ているから」と見えない何かを確信して、はつらつとする方が心配な気もする(時々そうも考えるのだけどね)。こんな異常で絶望的な経験を持って、前を向いている方が特異なのだ。そういう人がいれば、すごいと思うし、何ら間違っていないのだけど、やはり処理できないほどの情報をこの数年で叩きつけられたのが私の体験なのだと思う。あとは、食事をとって、しっかり眠りまくっていることから、必死に情報を処理している過程にあるのだと思っている。

家の近くは遊歩道なのだけど、その遊歩道に桜の木があった。夏に見たとき、札がつけてあって、暇すぎる私は近づいてぼーっとそれを読んだ。「この木は年々傾きがひどくなっていたけど、改めて内部を検査したら腐食していたので、10月末までに伐採することが決定しました」とそんなことが書いてあった。自分は、あの木で逝くのかなあ、なんて横切るたびに思った。10月末を過ぎても切られていなくて、やっぱりあの木なのかな、それなら私の悲しい思い出も木と一緒に撤去されるもんね、などと考えていた。一向に具体的に実行はしないまま、先日見たら、木は撤去されていた。それだけでございます。

 

 

 

パワハラはんたーい!

夫のいない2021年に入ってすぐ、私は会社のトップの方に社内のパワハラについて伝えた。

握り潰されることが嫌で、最終的に誰の耳に届けたいかを考えて、最短距離でトップに直接言うのが良いだろうと思い立ち、メールの「送信」を押した。あまり長いメールではなく、ただ私が職場で辛い思いをしたこと、周囲でもそういう人がいたこと、会社は何の手立ても打っていないことを書いた。トップの方からは、すぐに調べると返信をいただいた。私が信頼するのは、やっぱりこういう人だ、さすが一流だな、と思った。

その後、人事部のえらい方々や、私の所属する部署のえらい方々などとパワハラの経緯について確認した。すぐ今後の対策を考えたいとのことで、人事部と一緒に対策案を作成した。私が声を挙げた勇気を称えてくれながら、これでトップに詳細を報告してくる、と言われたのが2月頃だったろうか。

そこからが長かった。私は、対策案がまとまったら、トップによるパワハラ根絶の声明を社内で発表することと、各種対策を目に見える形で実行していくことを会社に求めていた。しかし、待てど暮らせど、何も音沙汰がなくなり、半年近くが経った。私はこれは放置されたのだなと悟り、えらい方の一人にトップに会いに行きたいと相談した。すると、トップからは来ないでくれとのことであった。えらい方は、そのトップの声を私に伝えながら、「みんみんさん、どうしたい〜?」とまるで他人事のように話された。この人たち一人一人が管理職であり、本来社内でパワハラが生じた場合は監督責任を問われる主体であるはずである。それなのに、私の経験について「私はどっちの立場でもないんで〜」という責任放棄をされ続けていた。どの方も、私と話すときには「あんま関心ねぇなあ」という顔をしていた。「情緒不安定な女はめんどくせぇなあ」と思っていそうだなとも思った。

責任を持っているのに「どちらの立場でもない」と中立に立つことは、無関心という罪であり、責任の放棄というものだ。このえらい方の他人事の口調に、私の気持ちは大爆発した。人事部の面々を思い浮かべて、全員「やってやってる」の感覚で、誰のことも救う使命感なんて持っていない。ちょうどその時も、社内で苦しみ、放置された人の悲しい結果を耳にした頃だった。すべてが悔しくて、悔しくて、気づけば私はえらい方々全員を宛名に入れて、彼らがどれほどの時間をかけて、いかにふざけた対応を私に対してしているか、つらつらと書きまくった。

茶番とは、内容がないものであって、そこに理由や信念なんてないから、全員ccで実態を暴かれた人たちは、また慌てて対応を再開することとなった。

そして、先日、私のトップへの相談から10ヶ月もの時間を経て、トップの方の声明文が社内で発表された。僭越ながら声明文は私も校閲させていただき、トップ含む全員がこれまでの対応に頭を下げる内容としてもらった。今後は、その声明文を受けて、各種対策が実行に移されるはずだ。ただ、それも「はず」なのであって、彼らのことを私はいまだに誠実だとは思っていないし、結局何人死んでも良いと思って、対策の実行も遅々として進まないのだろうなと予測している。

私としては、会社に対する個人的怨恨を一つ晴らすことができた。でも、まったく気持ちは晴れないし、感慨深くもなかったし、夫くんに報告しようとも思わなかった。そして私のこういう何事も追いかけ続けて完遂する性格や、正論をぶちかまして相手を論破する性格が、きっとどこかで夫を苦しめたのだと自覚しているので、昔は好きだった自分のこの勢いも、今や人生に最大の不幸を招いたと感じている。夫だって、いつも「ゴーゴー!」って感じで応援してくれていたのに、どこでどうやって矛先が彼に向いたのだろう?矛先は彼に果たして向いたのだろうか?向けた。向けた時はあった。向けたんだな、やはり。そして向けたことで物事は悪化していった。

でも、今回のことについては、間違った主張であれば、やはり対応はされなかったと思うし、私のように苦しむ人がどんどん減ると良いなと思う。私の苦しみは、もう増えも減りもしないけどね。

開き直りのパンケーキ

ずっと、「書こうかな〜」と思うたびに、暗いことしか書けない気がして、それを書いたら気持ちが晴れる気もしたけど、でももっと苦しくなる気もして、結局前回の投稿から1ヶ月も空いてしまった。

今日は秋晴れの日曜日ということで、朝ごはんにパンケーキを焼いた。私は物心ついた頃から、パンケーキがとても苦手だった。食べているうちにあの水分のなさに喉が辛くなって、数口でギブアップする食べ物だった。それが、夫くんと初めての海外旅行で行ったアメリカのニューヨークで、パンケーキが大好きな夫くんと一緒に話題のパンケーキ屋さんに行ったら、そこのパンケーキがものすごくおいしくて、あのパンケーキアレルギーとも思えた私が、何枚も段々になったパンケーキを我先にと食べまくっていた。普段は夫くんが甘党で、私が塩党。確かそのお店はブルーベリーパンケーキとエッグ・ベネディクトが有名で、夫くんも私も、当然夫くんがパンケーキを主として食べ、私がエッグ・ベネディクトを食べ、合間で「一口いる〜?」とか「交換しよか」とか「ここ美味しいから食べてみ」とか言い合うはずだった。ところが私がパンケーキに夢中になったものだから、パンケーキ大好きボーイの夫くんはさぞかし焦ったことだろう。でもあんなに笑っちゃうほど美味しいパンケーキを2人でにこにこしながら食べた思い出は、後にも先にもあの1回だった気がする。

それからである。私は単身赴任がすぐに始まって、そこから毎週末、朝ごはんはパンケーキを作って食べるようになった。レシピを検索しまくり、パンケーキ研究の達人のようになって、ニューヨークで食べたあの美味しい美味しいパンケーキすら、非常に似通った味のものを自分で焼けるようになってしまった。その後結婚してからは、二人とも週末はせっせとパンケーキを焼いていた。夫くんのパンケーキ熱も相変わらず高く、バナナなどを入れたり、重曹とベーキングパウダーの最適バランスを研究したりしていた。美味しく焼けたパンケーキと一緒に、香ばしいコーヒーを並べて、2人でかちゃかちゃ食べるのが好きだった。

そんな思い出だらけのパンケーキなので、もう焼かないのだろうななんて考えていたけど、やはり週末のパンケーキは私のリラックス法なのかもしれない。ちゃっかり焼いている。焼くようになったのは、9月に入ってからだ。いよいよ生活上のタブーが煩わしくなって欲望を優先させたのか、あるいは単に真夏の暑さが過ぎてようやくコンロの前に立つ気になれたのかもしれない。

今日は全粒粉とシナモンのパンケーキで、チョコレートを少し削っていれた。この薄くて、綺麗に焼き目のついたパンケーキを、こんがり色付けたソーセージと、バターで焼いたマッシュルームと一緒にいただく。マッシュルームには、相変わらず私がちみちみと続けている家庭菜園のパセリとこねぎを刻んで散らした。今日のコーヒーは、夫くんがニューヨークで出会ったイタリア系の方々に憧れて購入したビアレッティで淹れた。この役はいつも作業が丁寧な夫くんに任せていたけど、もう自分でやるしかない。私は本当に作業が雑で目分量なので、きっと夫くんみたいに美味しいコーヒーは入れられていない。

うーん、心の中はおどろおどろしいのだけど、やはりこのブログの前に来ると、ただ幸せだった時間を思い出して、今の自分にリンクしていることも実感することができる。最近は夫くんに晩年投げられたあらゆる図星の指摘や、周囲への失望、自分自身の行き場の無さ、生きる目的のなさに辟易として、ただ下を向いて過ごしている。会社で誰に褒められようと、感謝されようと、私の心が動くことはない。夫くんとの思い出に慰められながら、最後は夫にも失望されてしまった、というぐるぐるの中にいて、苦しいんだ。

人生の救済

最近はある種気持ちが安定している。

安定というのは、人生の過ごし方が定まっているということ。

すなわち、過ごし方としては、仕事しているか、現実逃避しているか、命日までに死のうと思っているか。もうこの三択くらいしかない。

死のうと思う気持ちがどれだけ深刻なものなのか、実は自分でもわからない。絶対的な救いのように見える日もあれば、本当にそんなことできるんだろうか?と思うこともある。でも自分に問いただした結果、死ぬ必要がない、という結論になることはない。やはり生きる意味を見つけられていないのだと思う。

あんなに家族思いで、人に優しく、感情移入の塊だった私だけど、やっぱり私自身が生命力を持っていなければ、周囲への気遣いは私自身に意味を成さない。もう数週間、実家からの連絡も、既読すらつけず、返信ができない。義実家から一周忌に関連した連絡もあったけど、一周忌に会うことがあまりに苦痛のように思えた。この義両親に、今更どんな表情で、どんな態度で会えば良いのか。この自己愛と自己中心的思考を貫徹させた二人に。

私という人物の生きる目的が成り立たない時、最も近しい人への気遣いすら苦痛となる。これは、夫にもあてはまったと思う。夫が自分に対する肯定感とか、人生の幸福感を感じていない中で、ただ私に対する愛情に拠って生きる意味を見出すことは難しかったと思う。だから、夫があんな形亡くなった=私を愛していなかった、と考えることは短絡的かなと思う。彼が彼自身を愛せていなかった、自分が生きる意義を感じられなくなっていた中で、私を愛すためだけに生きて欲しいと願うのは、傲慢であり、間違いだと私は思っている。むしろ、彼に生きて欲しいと私が願うのであれば、彼が生きているうちに、彼が自分を認め、肯定できるようになるために、私自身がもっと力になれれば良かった。そういった方向に私の後悔はある。

きっと遺族の後悔には、それまでの経験を踏まえ色々あると思うけど、私自身はまずは夫の自己救済。これをもっと支援できればよかったのにと思う。実際にはそれを妨げたり、逆行するような冷たい言葉を、幾重にも放ったことに私の悔いがある。

夫が亡くなってからしばらく、同じように死別した方のブログを熱心に読んでいた。何ヶ月目には、こんな心境だったのか。よしよし、同じペースで進んでいるぞ、とか、あれ、ちょっと出遅れたかも、など、随時比べていた。その方の旦那さんは突然死。私の夫の状況とは違う。でもブログ主の考え方が、私とシンクロするように思えた。私自身、神経質なようで(自分に甘いために)楽観的だったし、夫が死んだことはもう取り返しようがないので、私が生きるのであれば、私は将来再婚して、きっと子供を産む。それでもって私は救われると思っていた。

でもそんな比較も、ここ数ヶ月でやめた。その方は、死別から1年未満の今頃、新しいパートナーに出会っていた。出会った理由は、私にもよく理解できるものだったし、私が彼女だったら、きっと同じように惹かれただろうと思った。でも、今の現実の私と比べたら、私は全然その境地に達していなかった。大体、夫は男性100人並べた時に、そのうち95名が標榜するタイプと違って、残り5名くらいの不思議な人だった。きっと、夫を重ね合わせているうちは、世の中に似た人なんて見つけることが難しいくらい、独特な人だった。

それでも、きっと新しいパートナーを見つけて、子供を産めば私は救われる、という発想は私の深層心理に根強くある。つい数週間前、夢を見た。赤ちゃんを産んで、私のお腹に生まれたてほやほやの赤ちゃんが乗せられて、私はとてつもない幸福感を感じていた。その赤ちゃんが誰の子であるとか、その後どんな親子になるといった情報はなかった。ただ、日々感じているこの絶望感が、お腹に乗ったその赤ちゃんによって、溶かされるほどに癒される瞬間を体験した。

きっと私は、私自身と奇跡のように思考がシンクロして、この世で想像できないほどに美しい思考をした夫という人物が亡くなったということで、もう「夫」という存在には期待していないのかもしれない。夫ほどに私を魅了して、一挙一同で私を感動させ、苦しみの果てに至ってもその美しい人間性を感じさせてくれる人は、きっとこの世に存在しない。それに似た人、彷彿とさせる人はいる。でも、私にとって夫を超える人は、これまで存在しなかったし、きっとこれからも、存在しないのだと思う。

でも、その先にある子供というもの。私がずっと追い求め、望み、夫を苦しめた「子供」という存在は、きっと私にとって今もなお救いになるのだと思う。

赤ちゃんが生まれれば、私はまた最大の生きる意味を得るだろう。

パートナーとしては、きっと生きる意味ほどの人に出会うことは、きっと私のひねくれた嗜好では、無理だろう。パートナーがいなくても、私の子に出会うことは可能なのだろうか。

今のところ夫の命日を様々な判断の期限としているけど、それまでに自分がどの道に進むのか、先を見通すことはできない。それは、日々変動し、今もまったく予想ができないのであーる。

 

風に吹かれて

月に一度、とんでもなくどん底に私を落とす奴がいる。

生で始まって理で終わる、そう、生理というもの。

月命日とか記念日なんかももちろん苦しみもがくのだけど、生理の始まる直前と最初の数日は、本当にハンパない威力がある。今回は、死ぬ日を決めて、それまでのやることリストを書いて、死に方を調べていた。もちろん死ぬ日はかなり先に設定していて、段取りも世の皆様に迷惑をかけぬようかけぬよう考えて、そして死に方は、えーっと、痛くなくて、確実に決行できて、できれば死に様が綺麗な方がいいなとか考えるもんだから、結局決まらなかった。そんな死に方は、なかなかない。夫くんみたいにスマートに美しく死ねることなんて、まずないから。ネットにはさも全ての亡くなり方を熟知してるかのような先輩風吹かす奴がたくさんいて、「この死に方はこうなる」とか偉そうに言っているのだけど、死に方なんて様々で、夫くんは、とても綺麗だったな。

死ぬまでにやることリストを考えたら、一つ目は「会社のデスクから私物を持ち帰る」だった。なんでかなって思ったら、私は自分の親のことを考えているみたいだ。もし私がいなくなって、親が私のデスクの私物を取りにいかなきゃいけなかったら、すんごく惨めだろうなと思って。今の私のデスクは夫が亡くなる前のまま、引き出しにぎっしりお菓子が詰まっていて、こいつは絶対人生の悩みはないだろうなって感じの能天気なデスクだから。しかも不衛生にコップとか洗わないまま突っ込んであるし、歯ブラシもそのまんま剥き出しで入れてるし、真っ先に片付けなければと思った。そして、娘と同年代の輝かしい女性たちが働く姿を見たら、きっと失神するほど辛いと思ったから、とにかく職場は出向く必要のないよう、綺麗さっぱり跡形なくしなくては、と思った。

いくつかリストに書きだすと、私にも逃げ場がないわけではないのだ、今後平均寿命までの50年をただ悶え苦しんで生きなくても良いのだと少し安心して、止まらない涙も乾かすことができた。その後は買い出しのために外出して、夜になって帰宅した今は、日中とは少し気持ちが違う。「えっ、死にたいかって言われると、まあ冷静に考えて生きてる意味ないけど、やっぱ死ぬのは怖いっちゃ怖いな」という感じである。こうして生理3日目が終わる。恐らくここから先は、また1ヶ月後に生理さんと出会うまで、この恐ろしく落ちた気持ちはお預けである(多分)。それでも時には関係なく悲しみの底にたどりついてしまうこともあって、そんな時はただ朝から晩まで横になって泣いて、泣いて、泣きまくっている。

そういえば今日、気持ちが切り替わるきっかけが何だったかなと思い出すと、もう一つあった。もともと私は家では音楽をかけているのが好きで、spotifyやらyoutubeやらでいろんなプレイリストを常にかけていた。でも、夫が亡くなってから、思い出の曲を聴くのが恐ろしくて、死別後に自分から選んで聴いたのは、夫とは聴いたことがなかったオザケンだけである。でも、やはり静かすぎる空間も辛いので、ラジオを小さな音で流すことが多い。今日も泣いていると、ボブ・ディランのBlowin' in the Windが流れてきた。この曲は、私たちの交際前の思い出の曲だ。私からお誘いして数回デートやメールを重ねた夫くんに、そろそろ告白したいな!と思った。少し斜に構えている夫くんには、しゃれた告白をしないとなと思った当時大学3年の私は、終電間際の大学近くので駅で「私があなたに告白したら、なんと答えますか」と聞いた。夫くんは、「わかりません」と答えた。私はフラれたのかと思って、とても落ち込んだ。次回会った時、夫くんが私に同じ質問を返してくれた。「僕があなたに告白したら、どうしますか」。私は単純なので、気づけばムードもくそもなく、「付き合うに決まってるじゃないですかっっ!!!」と答えた。そして夫くんはその日、私にボブ・ディランのCDを貸してくれて、○番目の曲に答えがありますよ、と教えてくれた。それを聴くと、答えは風の中にあると歌っていた。その意味は全然わからなかったけど、私は家に帰ってから、にたにたと笑いながらその曲を何度も聴いた。彼はこういう音楽が好きなのかあ、これカントリーっていうのかなあ?(フォークらしい)。こんなゆったりした牧歌的な音楽を聴くなんて、なんて素敵な人なのかなあ、と思った。あの時は曲の意味はわからなかったけど、今日ラジオから流れてきて、感じ方が変わっていた。こんな風に死に別れてしまって、夫くんを想ってひとりで泣いてると、やけにしっくりとくる曲だった。まさに私の心の隙間にすーっと軽やかに入ってきた。人の器を亡くした後は、夫くんは風がよく似合うなあと思った。のんびり、ゆったり考えればいいんだよ、って夫くんが言ってくれているような気持ちがした。

この部屋に引っ越してきて、最初の晩、引っ越しを手伝ってくれた両親や、なぜか同乗して部屋をチェックに来てくれた祖母も、夕方には帰宅して、私はこの部屋に一人きりになった。しばらくパタパタと忙しくしてみたけど、ふと横を見ると夫の小さな骨壺があって、私は動きを止めた。思わずすっと息を吸い込んで、夫の骨壺を胸に抱えて、抱きしめた。普段は目もくれない骨壺。夫と思っていないはずの骨壺に、あの日は確かに夫を強く感じて、何か決心して抱きしめた気がする。そういえば、昨日でここに引っ越して1ヶ月だったんだ。今この瞬間に書いていて気づいた。私たち、頑張ってるな。夫くん、いつも優しい気持ちにしてくれて、ほんとにほんとに、ありがとう。

 

2回目の美容院

今日は死別後2回目の美容院に行ってきた。

私の美容師さん(吉川ひなの似)はスーパー可愛い上に、接客業を心得ているのだなと感心する。私に対して、困るような質問や、ましてや慰めなんて、皆無。いつも万人受けしそうな話題を振ってくれる。それは楽しているように見えるかもしれないけど、そうでもないと思う。美容師さんだって、自分がしたい話とか、自分自身の話をした方が、ずっと楽だと思う。そこを超無難な話題で今日は3時間もつないでくれた。プロ意識がすごいし、職人だなあと思う。見た目からは、惑わされてしまうほど可愛いんだけどね。いつも良い時間を経験させてもらって、ありがたい場所だなあと思う。

今日の美容院のメニューは、カットと、カラーと、ハイライト。実は夫が生きている時は、基本的にカットしか頼まなかった。それは、夫と私ですごい家計管理をしていたから。もともと家計簿はつけてなかったけど、夫が疾病の影響で散財した時期があり、見かねた私が食費、日用品、デート代、2人のお小遣いを設定した。体調が回復していた時期の夫は、かなり難易度の高いその金額枠を、ゲーム感覚で乗り切ってくれている感じがした。本当にいろんな場所にせっせと買い出しに行ってくれた。ホワイトデーのデザートに、ミントの葉の代わりにプランターに私が栽培した「せり」が添えられたのは、その最たる事例だ。おかげで私の給料からは想像できないほど、とんでもない金額を貯金することができた。なにもかも、夫の几帳面で徹底した性格のおかげである。でも、このところ私自身が洋服に美容に家具に散財しまくっていることを考えるたびに、夫もまた、散財することで乗り越えられる苦しみがあったのだろうなと思って苦しくなる。今の貯金はすべて0になっても良いから、夫に散財を重ねて欲しかった、きっと遠慮しすぎて辛いことが多々あったのだろうと悔いが止まらない時間に陥る。

男女の差というものは、私にとっていつまでも憎いものだ。私と夫の場合、きっと私が男で、夫が女であれば、今の全世界的なコンテキストの中では、より幸せに生きられたと思う。私が女であったばっかりに、そして夫が男であったばっかりに、あらゆる社会的制約に縛られてしまった。そしてそれは、お互いの評価というよりも、きっと私と夫それぞれの自己評価に大きく影響した。私が夫を「男のくせに」と言ったことは一度もないし、夫が私に対して「女の分際で」と言ったことももちろん一度もない。2人の間では、ジェンダーというものは、なかったと思う。それでも、それぞれの中で、やはりひとりの人間としてこの2人の関係性に貢献したいという気持ちはあったし、それが自身のジェンダーと結びつくこともあったと思う。夫は、男であることに呪われてしまったのかなと思うことがある。

夫ほどに女性を見下さない人は見たことがない。性別に対する偏見を感じたことが一度たりともなかった。それは、人種差別などの研究で使われるimplicitの域においても、まったくなかった。とにかく夫から偏見とか差別を感じ取ることは、一度もなかった。夫は、きっと自戒的に言い聞かせてとか、implicitな自分の意識を努力して変容させたのではない、生まれながらにして、男女差への偏見がなかったのだと思う。そのことに私は今でも感嘆の気持ちが止まない。

でも、夫は病に陥る前後、義母の言葉も借りながら、自分を「男なのにこんな状態だ」と卑下していたように思う。「男たるもの」と幼少期から青年まで繰り返されていた言葉は、そう簡単には消えない。私が新たな正解を入れることも叶わず、もしかしたら私すら夫の男としての理想像と比較した言葉を繰り返していたのかもしれない。きっと、そうなんだ。夫が亡くなる前の数ヶ月は、とにかくなんでもかんでも責めていたように思う。「えっ?」って思って欲しいとか、「みんみんからこの要望が出るとは、相当だな」と思って欲しくて。結局どれもその意図は果たさず、ただ夫を傷つけて終わった。

今日美容院で、髪を染めて手持ち無沙汰な間、ケータイをいじっていた。途中でなぜかネットワークが悪くなり、ネットサーフィンは難しくなった。ただケータイを目の前において、待っていた。こういう静寂の時間は、実はとても苦しい。夫が美容院終わりに電話をくれた声を思い出した。「みんみーん!そろそろ終わった?かわいくなった?みんみんの髪型見たいから、僕いま表参道歩いてるよ〜」と。そんな夫のあどけない声が頭に浮かんで、抑えたいのに止まらなくて、鏡の前に置いたケータイを眺めて泣いた。

「シャンプーさせてもらいますね!」というアシスタントさんの声でハッと現実に帰った。

夫にはもう2度と会えない。あんなに暖かい言葉をかけてくれた優しい夫は、壮絶な死を遂げてしまった。そんなことを、シャンプー中も、その後のショッピング中も、帰宅してからも、寝る前の今も、ずっと考えている。