優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

喫茶店で泣く

死別して最初のGWをどう過ごしたか記憶がない。このブログを遡って読めばわかるのだけど、その気力がないからそんなことはしない。自分がもがき苦しんでいる記事を振り返ることは、けっこうエネルギーを必要とするから。あの頃は、まだ彼がどこかにいるのではないかと期待していたと思う。今はその期待は消えてしまったな。諦めはつかないし、つけないと誓っていたのに、もう2年以上に亘って死別という拷問を受け続けて、いよいよ諦めもついてしまったのかもしれない。彼はどこにもいないし、もう戻ってきてはくれない。

去年のGWは突然思い立って、生まれて初めて福岡に降り立った。そこで福岡各地で人の優しさに触れて、これから取り組んでみたいことを思いついたりした。

今年のGWもきっと同じような衝動が生まれるといいなと思いながら、まったく計画がないまま連休に突入した。去年の旅行だって、GWに入ってから決心したので、今年もそういったインスピレーションさえ降ってくれば、誰とも話さない地獄のような9日間にはならないはずだった。

ところが、そのインスピレーションは今年は降ってこなかった。だから、もう連休に突入して7日になるけれど、今日まで誰とも会わず、話さず、ただ連日自室でジャンクフードを食べて、酒を飲んで、ぶくぶくと増量しながら過ごしている。朝から晩まで、ずっとスマホ片手に、どうでもよい情報を頭の中に垂れ流して過ごしている。朝から晩まで。本当に朝から晩まで。

そんなことをしていると自分の醜態に嫌気はさすし、無気力感は増幅していくし、良いことなんかない。でも、私は自分に甘いので、「こうやって自分の部屋に篭って、私は私を守るんだい!人混みの中に行って気持ちがずたずたになるよりこっちの方がいいよ!」と自分に声をかけたりしている。不気味でしょう。

何日前かにスーパーに行ったときも、とても嫌な気持ちになった。悲しいとも辛いとも違うから、嫌な気持ちという表現が適している。このGWに暇そうにスーパーを徘徊する人は、同じ独り身の人が多いよなと思い込んでいるのだけど、年齢がバラバラだと気にならないものの、同年代で一人の人がスーパーにいると、逆に居心地が悪くなってしまう。みんな似たようなあの足取り。用事もなく、あてもなく、遠くに視点をあわせてふらふらと陳列棚の間を歩く。相手の寂しさを勝手に感じ取れた気になってしまい、また自分の寂しさも全部伝わってしまうと感じる。あの日も私は1軒目のスーパーを見終わって、「帰ってもまた籠るだけだしなあ」と思い、次のスーパーに梯子することにした。2軒目のスーパーで私が関心のある商品の裏パッケージをまじまじと読んでいたら、1軒目のスーパーでうろついていた男性と商品越しに目があった。「おお、、、お前も梯子したのか、、、」と恥ずかしい気持ちになった。

私は、この世も浮立つような五月晴れのGWに、たった一人でスーパーを梯子していたこととか、あまりに暇なものだから買いもしない商品の説明を熱心に読んでいたこととか、彼と目があった瞬間に急いで商品を棚に戻して足速に店を去ったことが、とんでもなく情けなく、嫌になった。現実的な解決方法は、金輪際スーパーを彷徨わないか、この過剰な自意識を捨てるかのどちらかなんだけど、今のところスーパーを彷徨わないようにしている。この私が唯一正当性を主張して行ける場所はスーパーなのに。

今日は連休7日目にして自分を奮い立たせて昼食から外に出た。実は昨年のGWの旅行以降、私は資格勉強をしていて、年明けに無事資格を取得した。今の会社に私の能力を捧げ続けるのは嫌なので、資格を生かして今後起業しようと思っている。それで、このGWの間に事業計画書を書いて、物事を進めるよう自分に使命を課していたのだ。だからこそ今年は旅行に行く気にならないというのもあった。ところが連日ジャンクフードと酒とスマホに溺れる日々を過ごして、一切手をつけられなかった。ようやく今日はその作業を2時間くらいしていたけど、途中でやり方がわからなくなって、ふと顔をあげて前を見た。

茶店のテーブル席。向いにはもちろん誰も座っていない。いつも夫は私をソファ席に座らせてくれた。だから通路側は彼の席だ。その席に彼がいる姿を想像してしまい、一瞬で涙が込み上げてぽろぽろ泣いた。大丈夫なわけないじゃないか。全然大丈夫じゃないよ。

起業の野望をここに書くことは1年くらい躊躇があった。そんなことを口走ると、本当に立派な「グリーフ・プロセス」を経ているようで、キラキラすらして聞こえるが、そんなことはない。起業したら自分の関係者が増えて死ねなくなるのではないかという考えも常にあって、死ぬことを諦めてからでないと起業できないかもと考えたりする。最近は、今の会社に社畜として使われたままでは死ねないという別のモチベーションもあったりする。

あまり脈絡のないことを書き連ねてしまったけど、一人で引きこもってる割には考えていることがうすっぺらく思い詰めてもいないんだなと客観視してしまった。昨日は結局飲みまくったことで気持ちがバーストして、力をこめて泣いたもんだから朝起きたら目の周りが腫れていた。もう泣くことさえ減ってしまって、本当に自分という存在がいらない。悲しみもしない自分はいらないよ。