昨日は朝から晩までずっと、夫がいなくなったことについて考えていたので、とてつもなく苦しい1日だった。苦しくて、苦しくて、悲しくて、苦しくて、夜になる頃には表情がうまく動かなかった。追い詰められて、ちょっと怖いなとも思った。
今日も昼過ぎまでずっと苦しかったけど、昨日の反動なのか、今は気持ちがとても穏やか。少し鈍っている感じがするくらい。ちょっと不思議。そして怖い。
どんなときも苦しいんだけど、考える内容によって、苦しさの程度が違うことに気づいた。
夫が亡くなった理由とか、自分の後悔とか、悔しさとか、色々考えることはあるんだけど、一番悲しいのは、やっぱり夫がいないことについて考えるときだ。
どんなことを考えているときよりも、今この世に夫がいなくて、もう会えないということを考える時が、何よりも悲しくて、苦しい。
そりゃそうなんだけど、そうなんだな、って改めて自覚した。だから固定的な気持ちでいるわけじゃなくて、その時々の自分の思考のアンテナの方向によって、けっこう感情の起伏がある。悲しい時は悲しみがウェーブみたいにやってきて、波から顔をあげようとしても次のウェーブがきて、どうやっても抜け出せない。泣き疲れて気が遠くなるまで、続く。
今日、親と話していたら、私が夫の死を認めたくないと思っているように見えると言われた。認めたくないという言葉は少し語弊がある気がしたけど。自分では、受け入れたくない、という感じと思っていた。亡くなったことは認めてはいるんだよ。でも、受け入れ難いの。まあ、でも側からみたら、認めたくなくてあがいてるように見えるのかな。合理的でなくて心外だけど、そんなもんか。
でもさ、こんなに若くて綺麗な顔してるんだもの。数年前はこんなに幸せそうにしてるんだもの。なにより私とこんなに心が繋がっていたはずなんだもの。亡くなったなんて思えないよ。
もしかしたら、1日のうちで、私が平常心でいられてる時間は、夫が亡くなったことを認めてないのかな。それで、認めている時間、向き合ってる時間にだけ、あの悲しみのウェーブがくるのかな。そうしないと、苦しすぎるから、今はそれでもいい気がするけど。
ま、気難しく考えなくても、時間が解決するかなあ・・・