優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

1年前の今日

1年前の今日も、夫と苦しんでいた。

わかりあいたいのに、一向にわかりあえなくて、2人だけではとても困難を抜け出せそうになくて、それで年末年始にどうか手を貸してほしいと周囲に助けを求めたけど、誰かが来てくれることはなかった。

「これは夫婦の問題」

その夫の言葉だけが、周囲にも都合の良い真実になっていた。

大好きな人の力になりたいのに、力を結集できずに、私が周囲に切った切り札さえ見向きもされずに、ひたすら2人で苦しみ続ける。

最初から、最後まで、この繰り返し。

1年間続けた末に、私の「夫を放置する」という切り札が、夫を死なせてしまった。

切り札なんて、切りたくなかった。切るまでにあれほどに頑張っていたのに。私は夫の力になりたくて、あんなに、あんなに、どこまでも頑張ったのに。

報われなさすぎて、終わりがこれで、なのに夫がいないことがまだ信じられなくて、悲しい。

私のこの憎しみは、どこに昇華すれば良いんだ。

全部解決して、憎しみは全部葬り去るんだったのに。幸せを目指すんだったのに。

日記によれば、去年の31日の夜、私は夫と長い口論をした。

口論は、不意に始まったものの、とても長くなり、私が食べようとした年越しそばはすっかり伸びてしまったらしい。少しお互いに機嫌が治ったところで、私は布団に寝ていた夫のところにつかつか歩いて行った。「夫くんのせいでそばが伸びた!」と言ったら、夫は笑ってくれた。「来年はもっといい年になるといいね」と言って手を差し出すと、横になった夫も、握手のために手を布団から出してくれた。2人で堅く握手をしながら、「男同士の誓いだ!」と私が言ったら、関西人の夫は、「どこがやねん」とツッコんだ。

この日、私は夫に大事なことを確認していた。「うちら、本質的なところではなにも関係に影響受けてないんでしょ?」と聞くと、「うん、本質的なところでは影響受けてない」と夫はしっかり応えてくれた。今でも、それをずっと信じてる。信じてるよ。信じてる。

夫の心境は、考えれば考えるほど無念だ。無念なんていう言葉でまとめたくないのに、そんな言葉しか思いつかない。生きようとしていた、なのに生きられなかった、その姿を表現する言葉は、まだ見つけられていない。