優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

ものを取っておく性格

今日も、実家の自分の部屋の不用品を整理してる。

中学生から20代後半に実家を出るまでずっと使っていた部屋なので、15年分くらいの私の荷物が、ぎっしり詰まってる。本当にガラクタばかりなのに、手元に置きはじめて下手に10年、20年と経過してるもんだから、どれもこれも、よくわからないけど腐れ縁の顔見知りみたいな感覚がある。

でも、大切かというと大切じゃなくて、今の私にとっては、どれも夫と生きてた時代の私にとって、大事だったもの、という感じ。夫との思い出の品以外、全部いらない。私個人を表すものを、全部処分してしまいたい気持ち。夫が愛してくれた私。夫を救えなかったのも、私。大人になって、変わってしまった私。夫を切り捨てた私。もう全部、おさらばしたい。お別れしたい。ある種の自己否定なのかな。それとも、自分はそんな奴じゃないと、まだ逃げているのかな。逃げるために、なかったことにしようとしてるのかな。中学、高校、大学、社会人と、頑張っている自分の姿を感じるものは、全部、焼き捨ててしまいたい。

私は昔から、思い出のものをなんでもかんでも取っておくタイプだった。それは王道のデート先のおみやげ品とかマッチ箱なんかを超えて、美術館の半券や、改札で取られずに済んだ電車の切符、夫と一緒に行った喫茶店でもらったレシートや、喫茶店の刻印の入ったペーパーナプキンまである。私は自分がそういう人間だと自負していたのだけど、大学3年で下宿から一人暮らしに移った夫の部屋に行った時、部屋にあった靴箱に、これまでのデートの思い出の品がいっぱいに保管されていて、びっくりした。しかも、私が10回のデートの内、思い出深いデートの品を取捨選択していたのに対して、夫は全部の回を保管していた。私は、自分の父親が淡々とした性格なもので、世の中にこんな価値観の男の人がいると思っていなくて、なんだか感動した。大体、夫くんはとても変わり者なのに、こんなに思い出一つ一つを大切に噛み締めてくれるなんて、なんて可愛いのだろうと思った。私はその靴箱を「夫くんボックス」と名付けて、それからはデートのレシートを手に、「夫くんボックスにこれも入れる?」とか、「夫くんボックス、そろそろだいぶ溜まったかな?」なんて言うようになった。

結婚してから、夫くんボックスは目にしなくなった。あんまりデートらしきデートをする時間がない期間が続いたからかな。本当は、生活が一段落したら、またデートをゆっくりするような生活を送りたかった。結婚してから、あまりに激動の時間を過ごしすぎた。あらためて、夫をいろんなことに巻き込んでしまったと、とても悔やむ。そのまま何かに向かって2人は羽ばたくはずだったのに、夫が死んだ。

実家の私の部屋が綺麗になったら、色々と部屋に置きたいものがある。

たくさんある夫との思い出の品を綺麗に飾りたいのと、昨日買ったCDラジカセを良い場所に置きたいのと、夫に昔あげたコタツを自分の部屋に置きたいのと、夫が上京前からずっと大切にしていたテレビも置きたい。だから、スペース作りに忙しい。

忙しくはないのだけど、勝手に忙しくしてる。