役に立つどころか苦しめる存在でもある
夫は、どれくらい私のこと好きだったのかな。
すごく好きでいてくれたと思ってたけど、苦しんでる姿を見て、私はこの人に添えられたパセリくらいのもんなのかなと思うときもあった。彼の根幹、真髄、存在そのものに近づけない自分。好きなのと、影響力があるのって、違うのかな。きっと、彼のそういった側面を傷つける能力は私にも与えられていた。そこにあの手この手で剣を刺して、傷口を増やしたことはたくさんあると思う。でも、それを回復するための力は、自分はとても弱かったと思う。それができなかったのは、これまでは立場の問題と思ってたけど、人間力も大いにあるんだろうな。
彼の真髄にある意識には、私より近い人がいたと思ってる。そのことがわかっていたから、呼び寄せる努力を続けたけど、結局間に合わなかった。間に合うくらいの環境であれば、夫はこれほどまでの苦しみにそもそも至らなかったとも思う。
彼の死が苦し過ぎて、みんな良いように記憶を塗り替えていくから、こんなことを言ってもしょうがないんだけど。完全な正論という思い込みのもと、みんななるべく彼が亡くなった原因を自分から遠ざけようとするのかな。
でも、間違っても、彼の責任っていうのは、私は耐え難くいやなんだ。そこは、思い込みと言われようと、間違いと言われようと、彼は何も悪くないし、病による死だった、とは思えない。そもそも病になった理由が、周囲との関係性の中にあると思うからさ。これは、もちろん、その過程でずっと隣にいて、影響力のあった自分にも跳ね返ってくる言葉なんだけど。今、こういった問題意識を共有してほしい人も、きれいな話にまとめていく過程にあって、みんなそっぽ向いていくのかなあ、なんて思ったり、思わなかったり、する。きっとみんな、内心感じていることもあると思うんだけど、言葉にするかしないかは、人それぞれなのかな。
夫くんは、何も悪くない。みんなのエゴを一手に引き受けただけ。信じてくれたのに、ごめんね。