優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

どうしようもない人

ここ数日、過去に夫とやりとりしたメールを見て、心がかき乱されていた。

そのメールは、夫と私が交際8年目くらいで、いよいよ結婚しようかという時期のもの。夫が私と結婚するには、説得をしなければならない人がいて、この人物の分析から、対処法と、想定問答までが、合計3通にも亘って書かれていた。

私はまだ見ぬその人を思い浮かべて、「それにしても、どうしようもない人物だな」とその時思った。それでも、どうしようもない中に、きっと良いところもたくさんある人なのだろうと思っていた。

この人物は、人生の全ての意味を夫に託して生きていた。夫が誕生から今まで負わされた役割は、この人の不安を拭い、願望を満たし、理想の息子であり続けることだった。どうしても難しいとき、夫が少しでもこの人の意に逆らえば、この人は途端に家の中で叫び、ものを投げたり、包丁を持ち出したり、今すぐこの部屋から飛び降りてやると夫を脅したりした。口論の中で夫が何かを言いよどめば、矢継ぎ早に質問を続け、答えられないと「それみたことか」と優位を見せつけた。夫が稀に優勢になれてしまったとき、この人はヒステリーを起こし、夫を叩き、「私は病気やねんで」と言って泣き落としに入った。だから、この人は決して論破してはいけない。真実を伝えてはいけない。うまくやらなければいけない。これまでだって、常に本音を隠して、その期待に沿うことで耐えてきた。でも、この人も、本来悪いひとではないんだ。仮にみんみんに何かひどいことを言ったとしても、決してそれを、本心から言っているわけではないんだ。そんなことが書かれたメールだった。そして、メールの結びとして、夫の結論は、だから、結婚してもこの人が不安にならないよう、2人から愛情と優しさを示して行こう。定期的な連絡や帰省などをしよう、ということだった。もちろん、当時の私も、夫と同じ考えだった。

こんなメールから何年も経った後の昨年2月末。この頃、体調を崩した夫と私の間では、日々戦いのような衝突が起こっていた。お互い確かに愛しているのに、わかりあえない。信じているのに、脅威を感じて、攻撃しあう。そんな、説明のつけようもない日々だった。でも、ある晩私は、夫に謝ったことがあった。「わたし一つ自分が間違ってたと思って。今まで愛情史上主義で、夫くんがあの人たちと連絡したくないのに、メールとかスカイプさせちゃったかなと。それによって夫くんが彼らの愚痴言うスペースも奪っちゃったかな」と。これに対し夫は、少し戸惑いつつ、「みんみんが自分の家族とそういうことする風習を自分にも当てはめられた。でも、難しいよね」と返した。

この「でも、難しいよね」とは、夫の配慮の言葉だ。「でも、それを一方的に非難できるわけでもないし、みんみんがそれに価値をおくのもわかるし、難しいよね」、そんなトーンである。そう、とても苦しいときでさえ、夫はこういう一言を必ずつけてくれた。必ず、私の逃げ場があるように。

それでも、ずっと私はこの時話した通りの後悔を持っていた。それが、ここ数日、上に書いたメールを読み返して、少し記憶を更新することができた。なんだ、夫と私は、最初にそう約束していたんじゃないか。実家と頻繁に連絡したり、帰省しよう、と。それが関係を良く平和的に維持する秘訣になると。私ばかりが、夫の気持ちも考えず、べき論や正論で何かを押し付けていたわけでは、ないはずなんだ。でも、当然ながら夫だって、なにも間違っていない。夫がこの当初の約束のように動けなくなっている状況に、私だって気付くべきだった。大体、夫がこんな思いをさせられている元凶はあちらにある。私は、丸くおさめるよりも、そのことを夫に言ってあげるべきだったのではないか。こんなに夫ばかり我慢する必要ない、と。

先のメールによれば、夫はこの人から「いつか相手に見捨てられて、離婚されたらどうするの」と私と結婚する前から頻繁に聞かれていると書いてあった。確かに、夫が亡くなる直前、この人は稀に上京して夫に会うと、「あんた離婚問題、どうなった〜?」と夫に聞いていた。この人が「離婚」と口にするとき、いつも口元がうすら笑いを浮かべていた。私に対しても、この人は何度も「離婚」という言葉を言った。何度も繰り返し言われたあのイントネーションが私の耳にもこびりついている。笑った口元が目に浮かび、恐ろしいような気持ちになる。

この人は、夫が描いていた夢についても、「絶対に叶うわけない」と決め付けていた。それでも夫は、夢だけは譲れないと思い、きっと生まれて初めてこの人を論破して、夢に向かうことを選んだ。でも、交換条件でタイムリミットを設定してしまった。この人に決められたタイムリミットが近づき、夫は追い詰められた。「それみたことか」の、あの表情が浮かんだのだろう。

夫は亡くなったとき、33歳だった。昔、「10年後くらいにお父さんと上京して、一緒に住もう」と言われていた夫は、「その時僕は34歳になっているわけで、これは破滅的な考えだ」と私に嘆いていた。

夫がこの世で34歳になることは、ない。だから、夫はこれを完全に阻止した。それだけは、よかった。私とだって、離婚なんてしていない。これだって、言いなりになんてなっていない。よかった。

夫の良心につけ込み、自分よりも夫が幸せになっていくことを祝福しなかったあの人に、それなのに自分が夫から愛されていると信じてやまないあの人に、夫のこのメールを送りたくて、送りたくて、しょうがない。夫がこれほどに苦しみ、もがき、それでも尚、愛情を絞り出していたことを、伝えてやりたい。

心の中ではもう送信ボタンを押したのだけど、現実にはまだ何も動かず、夫のメールは私の受信ボックスに眠ったまま。