優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

存在丸ごと称えたい

昨日の夜、夫が亡くなったことについて、たくさん父や母と話した。

夫の最期があまりに苦しく悲しく、孤独なものだったことを、改めて認識した。そして、そんな人生の終わり方を回避することが出来なかったことを、悔しく、悲しく思った。

私と共に歩んでくれた人生で、あれほどの苦難を経験し、死ぬほどに追い詰められ、実際に死んでしまった夫。私は、一番幸せになって欲しい人に、この上ない地獄を味わわせた。抜け出してもらえることなく、沈ませてしまった。これほど無力感を感じる人生の失敗体験はない。夫に対して、ただ申し訳なく、詫びようもない。

夫が見たのが地獄だとしたら、今の私はその地獄を紐で括って毎日背負ってる。わかりやすい「責任」などとはまた違う。ただ、最愛の人が、そういう経験をして、そういう終わりに至ったという事実が、ずしりと私の背中に乗っている。

夫には、何度も信じて欲しいと祈るような目で訴えられた。あの目に、思いに、私は答えられなかった。夫のあの思いを、私の中で本当の意味で受け止めることができなかった。自分の心からの叫びが私に届かない様子を見て、私にすら様々な誤解や偏見を解けない現実に、夫はどれほど悲しく、どれほど無念だったろう。夫はきっと私だけで充分だった。最初から最後まで、私に信じて欲しかったと思う。

果てしない思いやり、包容力、愛情、誠実さ、実直さ、純粋さを持った人。柔和で、朗らかで、狂おしいほどに優しい。夫を表す言葉は、どれも角がない。鋭利さがない。ほんとにほんとに、優しくて、心が透明のガラスみたいに綺麗な人。

そんな素晴らしい人を、信じないわけがなかった。味方じゃないわけがなかった。孤独にさせたいわけもなく、死んで欲しいわけがなかった。私は今もあなたに生きていて欲しかった。はちゃめちゃに大変な日々を、私と2人で生き抜いていて欲しかった。そこには救いだって、幸せだって、絶対に絶対にあった。

丸ごと否定するように亡くなった夫は私と意見が真っ向から対立するようだ。

私は、夫の存在を丸ごと肯定したい。

2人で築いた夫と私という夫婦のことだって、百点満点の花まるをあげたい。

ここに夫の存在丸ごと、私たち夫婦の丸ごと、ありのまま、全てを称えます。

心の底から、私たちの全てを称えます。