優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

未練たらたら

2ヶ月前の今日、夫はまだ生きていた。

11日は、夫と最後の電話をした日だ。あの時、夫は取り込み中で、ゆっくり話せなかった。イライラしてるのは、私がタイミング悪く連絡してしまったからかと思った。私も用件だけで話を終わらせてしまった。体調だって良くないことはわかっていた。でも、私は駆けつけなかった。

夫は全然悪くない。私だって、本当は悪くない。夫が体調を崩した姿を見せつけることで、私は駆けつけるべき人間に駆けつけて欲しかった。だから、毎日、自分は駆けつけまいと唇を噛んで耐えていた。駆けつけない人は自分の非を認めなかった。「夫の態度は頭にくるだろうけど、会ってやってくれ」と言われた。会わないのは、夫のせいじゃないのに。夫と私の関係性の問題じゃないのに。それも全部説明しているのに、言いくるめられる。もう過去何度も、何度も、電話で、メールで、対面で、これ以上ないほどに、伝えている話なのに。

気持ちが届かない人もいるなんていう諦めを、私は持ち合わせてなかったから。今でも持ち合わせてない。いつか届いて欲しいと願ってる。諦められないからここに書いてる。今頃届いたって、何も変わらないのに、書いてる。

夫は私が距離を置く理由を、きっとわかってなかっただろう。説明したら、夫に残酷な話だから。夫が振り向いて欲しい人は、夫がこんな状態になっても振り向かないなんて、伝えられなかった。

でも、夫にとってはこの人たちより私が大切だったとしたら。

私だけは味方であると思えた方が、よかったんじゃないか。

私すらそっぽを向いたと思わせてしまったんじゃないか。

今になって思う。何もかもに絶望して18歳で上京した夫にとって、赤の他人の私は、きっと奇跡のような存在だったのだろう、と。話せば、理解する人。困っていれば、見て見ぬふりしない人。物事の良し悪しを、しっかり判断する人。夫がどれだけ言葉にしても理解しなかった大人たちから放たれて、夫は言葉にした何倍も汲み取ろうとする私に、感動したのではないか。そして10年以上たって、私は自分のその存在意義をよく理解しないまま、安易にそれをやめてしまい、夫は体調を崩し、苦しみの日々に踏み込んでしまったのではないか。

夫のその尊い命が失われたのは、たった2ヶ月前のことなのに、もうとてつもなく昔のことに思える。あの時あのどうしようもない奴らを縛り上げて夫のところに引きずっていけばよかった。夫はそんなこと、望んでいないけどね。夫はただ、愛して欲しかっただけ。待っていただけ。あんなズタボロの姿になってまで、待っていた。私は、夫の傷をただえぐってしまったのかもしれない。本当は、私が足を踏み入れるべきことではなかった。もっとずっと繊細で、善悪だけで表現できない、永遠に解決もできないことだったのだと思う。世の中にはそういうものもあると、夫の方がわかっていたと思う。だから過去30年以上、そのままにしていたんだ。

なんで世の中で一番心がきれいで善良な人が、あんな思いをしたのだろう。

何も悪いことをしていない夫が、あれほどの地獄のような経験に一人で放り込まれて、人生をどうにもこうにも動かせない中で、想像を超える怒りと、悲しみと、苦しみに苛まれながら、時に訪れる平穏な時間に安堵して喜びすら見せた。あの表情。

私は、べつに生きていける。でも、夫の無念は、変えられない。

そのことが一番苦しいし、悲しいし、悔しい。

夫のことが大切であるのに、この夫の無念が私の外にあることも、自分が薄情に感じられて、嫌いになる。この現実は、どんな罰ゲームかな。