夫のことを考えるときに、苦しいことはいくらでもある。
その苦しさには、夫の気持ちになって苦しくなるものもあれば、私自身の寂しさで苦しくなるものもある。
でも、やはり何より苦しいのは、あんなに幸せになることを強く願っていた夫が、わずか30数年で不本意にも生涯を閉じたということだ。
夫から貰った年賀状には、毎年、「幸せ」という言葉があった。
「去年は大変だったけど、今年こそは幸せな一年にしたい。絶対に!」
そんな夫にしてはめずらしいほど力強い決意表明の年もあれば、
「みんみんとの幸せな一年になりますように」と穏やかに祈るものもあった。
私が書く「幸せ」の言葉と、夫が書く「幸せ」は、重みが違うように感じる。
夫は、いつも何か生きづらさや、息苦しさを抱えていて、次の一年こそは、みんみんと一緒に幸せな一年にしたい、きっとそうできるはずだ、そんな希望を持ち続けていたように感じる。
夫から死につながるような悲壮感を感じたことは全くなかったが、生きる中での焦燥感や、息苦しさは、いつもどこかしら感じていたのかなと思う。私の前では天真爛漫で、無邪気に振舞う夫だったけど、きっと私にも打ち明けられない何かを心のどこかに持っていたのではないか。あるいは、夫自身もまだその「何か」を言語化できていなかったのかもしれないとも思う。夫が何よりも好きだった文学は、きっと夫の心の様相に優しく呼応してくれるものだったんだろう。
私は、あえてそういう苦悩の中に、夫と入っていくようなことはしていなかったように思う。夫が私とそれらの感覚を共有して、2人の関係性の中に入れ込んでいくことを特に望んでいないように思ったし、それは夫から見れば、私がそれらの話題に無頓着、無関心に見えたのかもしれない。
毎年、私は七夕に短冊を書くのが好きだった。人生が順風満帆だっただけに、短冊に書いたことは叶うことが多かった。そのジンクスから、2019年7月、夫が大きく体調を崩す直前に、夫に一緒に書こうよ、と持ちかけた。体調の悪さから、乗ってくれないかと思った夫が、塞ぎ込んだ表情で1枚書いてくれた。その短冊には、「苦しみのない1年になりますように」とあった。それを見て、私は胸が締め付けられる思いだった。「幸せ」の言葉は、もうこの時夫から出てこなかったんだと、今思い返して感じる。
2020年の七夕、私は短冊なぞ書かなかった。「織姫も、彦星も、地獄に堕ちろ」と吐き捨てる私に、実家の両親が驚いていた。これからも、七夕は大嫌いだと思う。
夫が心から望んだ幸せを、確かに掴んでいる時も2人にはあった。でも、あまりにそれは儚く、一瞬の春風のように私たち2人を包んで、そして去っていった。夫と幸せになりたかった。夫を幸せにしてあげたかった。まさかそれが叶わないと、この私が、この2人が、そんな結果になることは、考えたこともなかった。
そんな現在で、そんな現実に、まだ意識が追いつけていない。