優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

月命日 当日を振り返る3

夫がどんな気持ちで死に向かったのかなんて、誰にもわからない。

夫は病の影響で死んだと考えることで、気持ちが楽になる人もいるようだ。

私はというと、病とか、病じゃないとか、そういう側面で語るものではない、と思っている。夫は錯乱して、わけもわからず死に向かったのではない。深く深く考え、己の存在を問い、最後は夫の存在を象徴するような、儚く、脆く、危うい、薄すぎるガラスのような心を両手で抱えて、最後の力を振り絞って、死に飛び込んだのだと思う。

その思い詰める過程は、確かに病がなければ、起こらなかったものもあるだろう。例えば、夫が私に会うことを、それほどに恐れる必要は、私としてはなかったと思う。でも、私のこれまでの行動、表情、声、思考、その全てが、あの日の夫にそう行動させるように仕向けた、ということも、これもまた、真実なのだと思う。10月までは強固だった信頼関係を、あの日まで維持できていれば、こんなすれ違いは生じなかったと思う。

夫は、誰よりも周りを崇め、誰よりも自分を傷つけ、扉の向こうにいる自分を責める人々、愛する人々、期待する人々、待ちわびる人々、その全てに向き合うことが、恐ろしくなってしまったのだと思う。自分の存在そのものが、自分の中で砕け散り、どうかき集めてもわからないことが多かったと思う。また、意図せずして自分の言動が世の中から忌み嫌われ、存在を否定され、経験したことがないような迫害を受ける日々だったと思う。また、その世間は世間一般だけでなく、最愛の妻さえも、その一翼を担っていた。そんな日々を経て、夫の自己像が、もうボロボロで持ち上げられないほどの布切れになったのが、あの朝だったのではないか。その少し前まで見せていた周囲への威嚇は、あの朝、もうなかった。あったのは、長い長い沈黙と、沈黙の後で、唯一私の呼びかけに応じてくれたときの声。扉の外から夫の愛称を呼ぶと、夫は消え入るように心細く、悲しい、悲しい声を出した。あの声が、次にそんな強烈なエネルギーにつながることを、私は予見できなかった。あの声を聞いたとき、まだ押すのか、引くのか、迷っているくらいだった。この扉を隔てた意識の違いは、何度思い出しても悔しく、悲しい。夫の最後のサインを私が踏みにじったようで、そのサインを最後に、夫は絶望に向かったのではないかと思う。夫はあの声をだせば、みんみんがわかってくれるだろうと思ったのだろうか。あんな声を昔の夫が出していたら、間違いなく駆け寄って抱きしめているのに。私はどれほど、夫を病人扱いしていたのだろうか。あんな声を出されて、まだ私はその後の作戦を練っていた。なんという愚かな行為で、またなんという悲劇につながってしまったのだろうか。

夫には、どこまでも申し訳ない気持ちしかない。あんなに幸せを強く願っていた人に、幸せになってもらえず、失意の中亡くならせてしまったことが、耐えがたい。