優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

頭をよぎったら爆死

すごーく、つらい。

夫もずっとこんな日々だったのかな。

すごーくつらい上に、私や社会に責め立てられてたのかな。

この状態で、私は家族が優しくしてくれるけど、もし家族が私のことを批判したり、普通に生活してるのに迷惑がられたら、自分に生きていく場所がないと思うよね。夫は、この先どうするか決まらない、行くところがない、どうしていいかわからないってよく言ってた。そう言いながら、会いたくないっていって電話をよく切られた。今ならわかる。それは、会いたいんだけど、会う気力がないだけだから、私がいくらでも出待ちして、突撃すればよかった。夫にとって得体のしれない恐ろしい世の中で、私が手を取って一緒にいるだけで、どれほど心強かっただろうか。一度誕生日に突撃したときには、もっと長くいれば?って言われた。覚えているだけで、2回言われた。もう帰るの?もっといれば?って。そう言ってもらって嬉しかったけど、嬉しいだけで、私は笑顔で帰った。え、いて欲しいの?って聞いたら、事務連絡みたいな話で誤魔化されて、その場で解消しちゃった気がする。本当は、もっといて欲しかったんだろう。それも私は気づいてたよね。なんとなく、私を見る目が、そんな目だった。私を求めてくれるときの目。

なんで心の痛みをもっとわかってあげなかったんだろう。自分が楽になることを諦めて、もっと、もっと、もっと、もっと夫の近くにいればよかった。どれだけ苦しくても、本当は、やり切りたかった。でもやっていたら誰も助けにきてくれなかった。2人ぼっちにされた。気づかないフリをされた。2人しかいない限り、いつまでも夫は亡霊みたいな過去に囚われたまま。

でもだからって夫を1人ぼっちにして死なせてしまったのでは、何にも意味がない。罰されるべき人は罰されず、結局、一番弱い夫が見殺しにされた。ずっとこれまでもそうだったように。

私が夫の全てを受け入れて、もっと全力の包容力を持てたら、あとどれだけ夫を救えただろうか。そうできる環境であったら、どれだけよかっただろうか。

全部、ないものねだり。自分にそんな度量もなく、2人の周りにそれを支える能力もなかった。でも、何故1杯のお茶を飲む時間、ネット記事を1本読む時間、休日に1日休む時間を、我々は夫のために捧げられなかったんだろうか。何故、人はこんなにも自分を優先するんだろうか。

私の苦しみは、夫が亡くなったことと、それが救えた命であったということ。自分がもっとこう動いていれば、あるいはあの人がもっとこうしてくれていれば、そんなドロドロの自他に対する怒りがマグマになって脳内を巡るから。

この怒りも忘れて、夫を美しい思い出にして、私は別の人と幸せになって、周りもみんな微笑んで「みんみんが元気になってよかった」と思う、なんてことを想像するだけで、気持ちが張り裂けそうに悔しい。ましてや、前の夫くんのときはみんみんも大変だったから、なんてことが頭をよぎった人は、次の瞬間爆死してほしい。

悔しい。悔しいよ。