優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

亡くなってから火葬までの時間

夫が亡くなって、警察で検死があって、家族葬を終えるまで数日かかった。

 

亡くなった日には、「明日にもお葬式をしたい、夫の全てから離れてしまいたい」となぜか思っていた。あまりに苦しいことで、自分が現実から逃げようとしていたように感じる。珍しい。

 

でも、翌日から火葬までの数日は、ただただ夫の形がなくなることが嫌で、毎日棺の中の夫に抱きつき、キスをしていた。夫の姿・形の全てが愛おしくて、なんども顔を撫でて、愛して、自分の指に感触を残そうとした。夫に抱きつくと、夫の胸は暖かくわたしを包んでくれた。ドライアイスの冷たさなんてものともしない。夫はあんなに優しくて脆い人なのに、なんて包容力のある肩と胸だったんだろう。この胸の中で一晩泣き明かしたい、そんなことも思った。

夫の足から膝のあたりに手を伸ばすと、夫のすっと長くまっすぐな足を感じられた。「ああ、これは夫だ」。私は自分の上半身を夫の足の上に重ねて噛み締めた。頭から爪先まで、夫の全てを覚えていたい!とわたしは何度も何度も夫の足にわたしの身を重ねた。

 

葬儀屋の方は、とても良い方で、家族葬に関するわたしの希望を全て叶えてくれた。

わたしと夫の思い出の地を車で回ってくれて、数日の間に実現したことと思えなかった。

お花も、おどろおどろしい色じゃなくて、夫が好きなポップで可愛いお花にしたいと伝えると、本当に可愛らしいお花をたくさん準備してくれた。ピンク、白、サーモンオレンジ、黄色。それに家の庭のハーブを切って添えて、最後は眠り姫のように飾ってあげた。飾った後は抱きつけないかもと思ったけど、一生に一回のことなので、もう一回お花の上から抱きついた。

 

「音楽も何か準備してくださいね」 淡々と葬儀屋さんに言われて、初日はすぐにでも葬儀を終わらせたかった私は「はあ・・・」と思ったけど、家に帰って夫のCDを漁ると、夫が大好きなオザケンがたくさん出てきた。夫と私は音楽の趣味が全然違う。性格も違うからね。オザケンを初めて葬儀で爆音でかけたら、すごく夫がにこにこ聴いてる姿が思い浮かぶようで、ブルースの曲は夫の遺影を両手で持って、一緒に体を揺らして踊った。夫にもらったスカートを揺らしながら。うっとりした気持ちの中で、悲しくて悲しくて、2人の結末がこれかと涙が溢れた。

 

家族葬だから、服装も自由にさせてもらった。冠婚葬祭に関心のない夫だったから、きっと私が黒づくめで現れるより、可愛いお洋服をきて欲しいというだろうと思って、上下ともに夫にプレゼントしてもらった服にした。夫がくれる服は、女の子らしくて、でもどこか聡明で、上品で、やさしくふんわりしたものばかり。そういう服を選りすぐってプレゼントしてくれる夫が大好きだったな。わたしが着てみると、いつもドンピシャに似合いすぎて、デパートの専任コンシェルジュになれそうな目利きだった!

 

記念写真も何枚も何枚も撮った。過去1年間、夫は写真を一緒に撮らせてくれるような精神状態になかったから、こんなに抱きついてまとわりついて写真を撮らせてくれることが新鮮ですらあった。交際してた時から、ツーショットばかり何万枚と撮っていた二人に、最後のツーショットになった。私は夫の近影で穏やかな表情のものを持っていなかったから、穏やかに微笑んで眠っている美しい夫の顔に、ああ、わたしが惚れこんで大好きな顔だ、と何度も思った。

 

棺の中の夫は、出会った日に私が一目惚れしたときよりさらに成熟して格好良くなっていた。「夫くんは年齢があがるにつれて益々かっこよくなるタイプだな」って、いつか夫にメールしたことがあったな。

 

毎日、夫の写真を見ては、格好いいなと思っている私は、側から見たら結構不気味かもな。

でもいいの、私は私。もし私が先に死んでたら、夫はきっと焼くことさえ躊躇して、財産はたいてホルマリン漬けにしていたかもしれないし。それくらい、お互いを外面も内面も大絶賛しあってた。おめでたい2人、だよね。