優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

香ばしいパン

夫の洋服を見ても、なんにも感じない日もあれば、今日みたいに見るだけで涙がじわじわ出てくる日もある。

なんでじわじわ出てくるかと言えば、おそらく今日の産業医との話で、改めて夫が死んだ人として語られて、私が一個人として立ち直ることに焦点があたったからかなと思う。

私はまだ夫と自分を生死で切り離したくなくて、夫の生存の証を必死にかき集めている。生きてる人と死んだ人の二項対立で分けられないよう、いかに2人がセットか、写真を見たり、手紙を読んだり、夫の服を着てみたりしながら、「一緒」になろうとしている。

でも、私が立ち直る術を語ることは、夫からちょんぎられて、一人にされること。一人で舞台の上に立たされたような、そんな感じかもしれない。それは、今の私には辛い。自分の中で順番があるんだと思う。年末年始を夫とのワンダーランド週間にしようとしている私には、単独講演の舞台なんて全然今じゃない。

今日も仕事していたら、母親が「一息ついたら?」って言ってくれた。今朝の産業医とのことも知ってるから、わたしが疲労困憊に見えたらしい。と言うより、「大きなため息ついてたから」と言われたけど。わかりやすっ。私はかまってちゃんか。

私の趣味はパンを焼くことなんだけど、昨日からたくさんパンを仕込んで、今朝大量のパンを焼いた。いつもうじうじ朝布団で泣いてるけど、パンの発酵が進んじゃうと思うと、家族の中で3番目に早起きできた(我が家は4人)。だから、早起き習慣に良いかもしれない。母親に、「パンでも焼かないと自分の存在意義がないから」って言ったら、お母さん泣いちゃった。ごめん、お母さん・・・。

実は、夫の火葬の朝も、自宅でパンを焼いた。夫と交際を始めてから、パンをたくさん焼くようになって、気づけば自分の趣味になった。夫にはたくさん私のパンを食べてもらったし、療養中もいっぱい食べてくれた。変な焼き上がりになっても、夫は「これはこれで美味しいね」と言ってくれた。昔みたいにまずいもの食べてもベタ褒めする彼とは違ったけど、でも夫の言い方は、とっても優しいから、嬉しかったなあ。いつでも私の気持ちを救ってくれる言葉を繰り出すスーパーマンだった。

そうそう、それで、火葬の前日に棺の中に何をいれようかと考えてたら、パンを思いついた。夫のためにパンを焼けるのは、今日が最後だと思ったから。前日の晩、悲しみの中でパンを捏ねて、そのまま発酵。翌朝、成形して、オーブンに入れて、出発直前にきれいなカンパーニュが焼けた。そのパンを、棺の夫のお腹の上に乗せて、庭のパセリも添えたんだ。ちょっとおもろい感じになったけど、2人の思い出だし、なんかオーブンと火葬で似てるし。夫は香ばしい匂いに包まれて、そのままバイバイになった。

あのパン、夫は食べてくれたかなあ?感想はどうだったのかなあ。どの配合で作ったか、忘れちゃった。同じやつ作って、今更だけど、食べたいなあ。夫を思い浮かべながら、ハムハムかぶりつきたい。