優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

再開

改めて、日記をつけていこうかなと思う。

書く動機は、色々あるけど、やっぱり、こうして自分の気持ちを文章に書き出すことは、精神衛生上、良いことしかないと思うに至った。そして、私自身が過去の自分の記事に共感したり、慰められることもこれからあると思った。何より、夫が亡くなった日からどんどん時間が流れていく中で、未来の私からみたら、生きている夫に少しでも近いのが現在の私であって、その私が気持ちを吐露する文章は、未来の私には貴重かもしれないと思った。そして、こんな日記でも、いつか私のように大切な人を失って悩む人に、何かの参考になれば良いなと思ったり(「ああ、死別したらこんなに悲しんで潰れてて良いんだ」と思ってほしい)。変わらずこのブログを訪れてくださって、書く意味を与えてくださる皆様にも、お礼をお伝えしたい。どうもありがとうございます!

ブログの記事を突然書かなくなった理由は、実は特になくて、意図したわけでもなかった。ただ、夫が亡くなって3ヶ月経って、なんとなく自分の気持ちが一周した気がしてた。悲しみにしても、苦しさにしても、後悔にしても、大体網羅したような感覚。網羅はしたし、言葉にはしたのだけど、平気で2周目に入っていく自分の現実が、ちょっと嫌になってしまった。そして、その後何周したところで、夫がいない現実は、一生変わらない。この覆せない現実が嫌になってしまった。

夫が亡くなった直後、自分の目の前の道が断絶した感じがあった。踏み出せばブラックホールに落ちてしまうような、行き止まりの真っ黒の壁が目の前にあるような感覚だった。過去を振り返ると、私の後ろにはこれまでの日々がカーブを描いてつながっていて、暗闇の中に、過去の幸せな思い出だけが、ぽわんと明るい灯火のようにいくつも浮かんでいた(イメージはマッチ売りの少女のあの炎と思い出が浮かび上がる感じ)。

今、亡くなってから3ヶ月を過ぎて、目の前の黒い壁が開いて、先を見ることができた。壁の向こうに延びていたのは、闇の中にどこまでも長く続く、真っ暗なトンネル。今いる場所は、「夫がいなくなった時」。ここから先のトンネルは、何年も、何十年も続く「夫のいない時間」。その中で、私の悲しみと苦しさと後悔の気持ちは、今の2周どころではない、もう何周も何十周も何百周も何万周もしていく。今は、そんな未来の存在を感じている。

こんな風に、ある意味、未来に目をやれるようになったことが、ここ1ヶ月の変化だろうか。全然明るい変化ではない。でも、同時に「このままではヤバいな、耐えがたいな」という気持ちも起こった。このまま引きこもって泣きながらうなだれて一生過ごすことは、本当に病みきってしまうと思った。それくらいなら、やはり消えてしまおうかとも何度かよぎった。生きるのであれば、今のままではいられない。でも、奮い立つような気力もやっぱりない。本当は、奮い立ちたいわけでもない。

きっと、ここで落ち切ることで、また光を求めて立ち上がり、再び自分を取り戻していくプロセスがあるんだろうけど、とても、とても、そんな安易なパワポ図のようにはいきませんて。。。ということで、私は変わらず悲しみの中にいるけど、闇の空間が前より未来に向けても広がった中におります。さて、どうなることやら。。。