優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

気持ちが外に向かう

今月に入って、私の気持ちは少し外に向かってる。

夫が亡くなってから今まで、会社や行政の事務連絡以外では、数名の友人に連絡をした程度。まだ直接会った友人は、一人もいない。電話も、テレビ電話もしていない。

ずーっと、周りと交流する準備が自分になかった。親友でさえ、何を話せば良いのかわからなかった。家族以外の誰かに対して、まだ嘆き悲しむということさえ、現実を受け入れたくなくて、できなかった。

夫が亡くなったのが11月14日。それからもう1ヶ月半、夫が帰ってくることをずっと待っていた。ちょうど年明けが、仏教の四十九日と、神道の五十日だった。もう夫がいない世界で、50回の朝と夜を経験したことになる。

夫が亡くなってからというもの、毎朝、夫が生きている世界に目覚められるかもしれないと期待して目を覚ました。そして毎晩、明日こそ夫がいる世界に起きられたら良いなと思って眠りについた。でも、そんな日は絶対にこなくて、夫という輝きを失った世界に目覚めるだけの日々だった。虚しい。願っても叶わないことは、本当に、虚しい。

四十九日が明けて、年末年始も終わり、私は少しだけ周りと連絡を取り始めている。親友とも何度かメールを往復して、可愛いペットの写真を送ってもらったりした。これに慰められた。こういう写真に慰められることも、ちょっと前までは、なかったと思う。

明日は、中学時代からの友人2人が家に来てくれる。これも、私には初めてのこと。

そして、自分自身に溜め込んだ気持ちを放出する活動も始めた。

夫が亡くなった施設先の方に連絡を取ったり、自分の会社に対して二度と同じような悲劇が起こらないよう、パワハラ根絶を訴えた。もちろん、夫が亡くなった一番の責任をこういう相手に突きつけているのでは、全然ない。一番の責任は、私たち夫婦にあることは百も承知だ。だから、未来に向けての行動だと思っている。私たちのような状態に陥る人がいないように、自分にできることを考えたい。そのことに取り組むことが、身勝手ではあるけど、私の救いになる。夫もきっと、私が救われるのであればと思ってくれるのではないかと思う。

とても幸いなことに、会社のトップからはとても温かい返信のメールをいただいた。やっぱり、この人に伝えたいと思う人には、そう思わせる何かがあるのだと思う。やりすぎたかと思った後で、でも今や私は命すら惜しくないし、なんて開き直っていたけど、こうして寄り添ってもらったことで、私の気持ちの鎧がスーッと溶けた。

結局、亡くなってしまった夫を救うことはもうできないので、どれもこれも、私の気持ち。

夫のことを思って、思って、思って、思って、思って、思い続けることしかできないけど、それで自分を救いつつ生きるしか、今はないから。頑張ろう。