優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

変遷

夫が亡くなってから1か月近く経って、私の中の悲しみが少しずつ変質してる。亡くなった当初の強烈な衝撃からくる悲しみから、もっと慢性的な悲しみへ。悲しみの大きい小さいではなく、ただ変わっていく。変わりたくもないのに、変わったからといって、何か救いがどこかにあるわけでもないのに。
昨日も部屋で泣いていて、家族が声をかけに来てくれた。過去1か月で、私の悲しみ方も変わったし、切迫感も違う。悲しむ私を見て両親が感じる痛みも違う。私の悲しむ内容も、それに伴う夫のエピソードも、一度聞いたようなものが多くなった。両親からは、どことなく頓珍漢な発言があったり、うわの空な返しで、ああ、家族は通常運転に戻ってきてるな、なんて思った。この感じ、普段のだ〜って思った。
これまで私1人が沈んでるんじゃなくて、家族も沈んでくれてることに救われていた。特に父はいつもあまり感情が揺さぶられず、うわの空で表面的に流す会話が多かったのに、夫が亡くなってからは、これに心の底から向き合ってくれているのを娘として初めてくらいに感じていた。
けど今日、家族は気づいたら、だいぶ回復してた。これまではみんなが各々の悲しみを持ち寄ることで主体的に夫の死を悲しんでいたのに対して、私が悲しんでる人で、家族はそれを慰める人という構図に変化してた。ついでに言えば、悲しんでる人が家の中にいることも、どことなく家族の日常になり始めている気がした。
誰も悪くなくて、私が寂しがってるだけ。みんな日常が必要だし、回復は必要。回復せずに全て終わらせる選択肢を考える私とは違う。夫との関係性が違うから。みんなには、回復しかそもそもない。それが、この1か月、ぐーっと一緒に沈んでくれていたんだ。
これから先、私が回復を拒んだら、この世とのギャップが大きくなるばかりだな。
誰も私と同じ悲しみなんて持たないよ。それは、私がこの世でたった一人の夫の奥さんなんだもん。夫が唯一、一対一で向き合いたいと選んでくれた人なんだもの。そうやって夫が選んでくれたのが私だけ。私が選んだのも夫だけ。苦しくないわけないし、他の人に同じ苦しみの世界を感じてもらえるわけない。
でも、このギャップに対して、どうやって変に捉えずに、卑屈にならずに、他方で自分も自分の悲しみをいびつに抑えずにいるか、これから困る日々になりそう。