優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

治る病だったのかもしれない

私がよく参考にしていたネット界隈で、最近一つの闘病記が話題になった。

家族目線で書かれているものなんだけど、ご家族の一人がとても混乱した状態になり、1年の怒涛の日々を経て、入院したというもの。これまでに見たことがないほど、その方の言動や症状が夫の様子に瓜二つで、その方はたった3週間で健康体になって退院したそうだ。

読み終わって、良い経過になってよかったと自分のことのように嬉しいとともに、夫のことを考えて、ここ数日、とてもヘコんだ。

その方の診断名について調べると、他の病気とよく誤診されるけど、こんな違いや、こんな特徴があると書いてあった。その違い、特徴がいちいち夫の症状や環境にぴったりで、私がずっと感じていた違和感はこれだったのかーと思った。

1年以上に亘って夫の様子を見ていた往診医からは、夫の脳の機能はこれから落ちていくし、脳ダメージは不可逆だと言われていた。目の前の夫に結びつけた説明はなんらなく、ただ教科書を読み上げるように言われたその症状があまりに恐ろしくて、私はそれから何晩もその言葉を思い出して苦悩した。でも、その医師が言う疾患の症状と、実際の夫の症状が、どうしても私の中で合致しなかった。そして、その後に行った行政主催の精神科医への相談会で、「その医師が言ったような疾患ではないと思う」と言われ、附に落ちたのだった。あの医師の言葉に私は救われたものの、それまで長く関係していた往診医の言葉も、残念ながら私にどこまでも深く刺さっていた。その恐怖が、ちょっとやそっとでは拭えず、苦しいときほど、その往診医の言葉が思い出されて、文字通り唸り、夜な夜な苦しんだ。

闘病記にあった病気について調べると、この症状は一過性の混乱なので、薬で治療すると、患者は病前の状態に戻るという。その代わり、症状が出るのはストレスによるので、ストレスが取り除かれなければ再発の危険があるとあった。

もし私が、この闘病記に夫の闘病中に出会っていたら、夫を無理やりでも医療につないだだろうか。治療を受ければ、それで治る。そんなことであれば、夫の納得感とか、夫家族の巻き込みはどこかで踏ん切りをつけて、先に進もうとしたかもしれない。治らないからこそ、そしてその後本人が直面する絶望が大きいからこそ、本人の納得感をどこまでも重視していたところがあった。でも、治るとしたら?

いや、それでも治るとわかっているからこそ、やっぱり焦らず進めようと思い、変わらずあの状態を長引かせただろうか。ストレスを取り除かないと症状が再発するということを聞いて、やはり夫家族の意識を変容させることに使命感を感じただろうか。

今となっては、本当にどうとでも悔やめてしまって、後悔できてしまって、当時の自分の判断を誤ったものだと思えてしまう。でも、治らないと思っていたものが、いとも簡単に治ったのかもしれないと思うと、夫の死にまで至った自分たちは、なんだったのかと思う。

ものすごく大きな山だと思っていたのに、実はちょっとした里山だったような。

灼熱のマグマと思っていたのに、熱めの風呂だったような。

絶望の闇と思っていたのに、すぐにトンネルの出口があったような。

こんな風に私が見せた過剰反応の気持ちは、私の表情にもいつも現れていて、それを見た夫は、きっと自分はもう元気になれない、絶対絶命だと思って、追い詰められたのだろうな。そんな負の連鎖を私が無知から生み出したと思うと、いたたまれないな。

色々考えるのだけど、やっぱり最後は運もある。夫家族さえ早く協力してくれていれば、何ヶ月も夫を苦しみの渦中に残すことはなかった。あの後は病院に行かないと限界だと思っていた。

やっていることは、正しいはずだった。方向性も、間違っていなかった。夫の症状だって、自分はよく理解していた。最後に感情的になって、夫の孤独と引き換えに家族を呼ぼうとしたことが、ダメだった。

最後はそこに落ち着くのだけど、夫が治ったかもしれないという気持ちとの折り合いは、しばらくつかない。つくことなんてきっといつまでもない。

ただただ、亡くなってしまった夫に申し訳ない。取り返しがつかないことをしてしまった。