優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

過去数ヶ月の振り返り

今月に入ってからだろうか、落ちきった後の少しばかりの癒えが自分について感じられた。

私が負った傷は、夫が亡くなった日から開き続けていた。初日は衝撃で痛みも感じられなかった傷が、亡くなった翌日から開いて、開いて、開いて、開ききったのが、1月か2月頃だろうか。そして、3月。夫が亡くなってから4ヶ月が経とうとしている今、傷の広がりが止まり、小康状態になった。

先週あたりから、少しだけ気持ちに余裕ができた。沈んだ気持ちの時間がほとんどだけど、家族と会話する時の私の表情は、これまでより明るくなったと思うし、ふざけたり笑う時間も前よりある。以前より自分の感情がコントロール可能になってきたのもある。夫のことを考えれば止めどなく涙がでてくるけど、亡くなってから年明け頃まであったように毎時間泣いてるのとは違う。

心境の変化の理由は何だろう。一つは、夫が亡くなっているということに、慣れた。変な表現なのだけど、夫が死ぬというこの世の終わりのような出来事も、やはり4ヶ月も直面していると、当初より慣れてしまう。私は心理学に関心があって、昔勉強したことを思い出したのだけど、人は自分が置かれた境遇や環境、それは良いものも、悪いものも、すぐに慣れてしまう。するとそこが自分の中の基準点になる。

もう一つの理由は、心境の変化というより、自分の関心が「夫の気持ち」から「自分自身」にシフトしたからだと思う。夫が亡くなってからずっと、私は夫がいかに苦しんだか、悲しかったか、つらかったかを想像して、その死んでしまうほどの苦悩を体感しようとしていた。そして、それほど苦しんでいた夫に対して、私が人生で一番大切に思っていた夫に対して、私自身が力になれなかった、ならなかった、そのことの意味をずっと考えていた。そんなことを考えながらも、自分自身の精神衛生を優先して、夫の絶望に達さない自分に歯痒く、悔しく、憎らしくもなった。

夫の気持ちを考えることは、間違いなく私にとって一番苦しいことだ。どれだけ考えても、どれだけ後悔して反省しても、その続きがないからだ。未来がないということは、本当に苦しい。この世でもう一度夫に幸せになってもらう方法はないし、私が自分の言動について夫に詫びる機会をもらうこともできない。お互いを信じて止まなかった私たちが、泣いて抱きしめ合って励ましあうこともできない。全ては私の中の自問自答にしかならない。出口も終わりもない。だから、どこまでも、苦しい。それでも、ステップとして絶対に必要だと思って、ずっと私は夫の気持ちを考えることに取り組んでいた。先日の記事で「一周した」と思ったのは、このことだったのだと思う。あらゆることについて、一周考えたと。そこで、特に区切ったわけでもなかったし、またいくらでも湧き出す後悔はあれど、謎の納得感を得た。そして、今度は自分自身の今後について考えるようになったのだと思う。

自分自身の今後に目をやったとき、とにかく意味のあることを考えたり、行動を起こす気にはならなかった。ある種のストレス発散なのかもしれないけど、意外なことに、一番表面的なことに関心がいった。まずは、洋服を爆買いしたいなーと思って、通販サイトでポチポチと買い物を始めた。そして、美容院を予約した。夫が褒めてくれた髪を切るのは嫌だけど、また褒めてもらえるよう、誕生日前にきれいに整えようと思った。さらに、住まい探しを始めた。年明けに賃貸を探したときは、2人用の検索条件を1人用に変えることが苦しすぎて、リアルに吐き気がしてやめた。でも、もうそんなこと言ってられないので検索を始めた。実家は居心地が良い。でも、このままここにいたら、私はよくわからない保護下でよくわからない役割を負ってよくわからない人生を長生きしてしまうと思った。もっと生き方にしても、時間やお金の使い方にしても、わがままに、パッと、短く終わりたい。そして、もっともっと夫のことを考えたい。一人暮らしなら、ずっと独り言で夫と話していられる。実家では、家族がいない時間だけ狙って話している(笑)そして、一人暮らしをすることで、またどかーんと絶望に落ちるなら、それはそれでいいかなと思った。この自分自身を保護していることが嫌になった。

仕事をどうするかはまだ決めていない。仕事のことになると、実は夫のことを考える。夫がまだ見ていてくれるのなら、夫はきっと私にもっと頑張ってほしいと思っていると思う。間違いなく、そう思っている。夫は私のことを盲信するほどに期待してくれていて、でも私がその期待に沿えなかったときに、かなり落胆させてしまったように思う。見損なわれたのかなとも思う。私は、それを挽回したい。夫は、もっと大きく、もっとみんみんらしく、何かに一生懸命取り組んで欲しいと思ってくれていると思う。でも、もし見ていないなら。もし夫は姿、形だけでなく、心も全てが消えて、無になったのだとしたら。私は、ここで再び頑張る元気も勇気もでず、ただのうのうと今の仕事を続けてしまうかもしれない。心底意味がないと思いつつ、安定のために今の仕事に留まってしまうのかもしれない。

そんな夫任せの考え方では、私自身が逃げているだけなのだけど、もう少し夫の心がまだあるということを実感できるようになりたい、そう思えるようになったときに、仕事については考えようかなと思う。それがいつになるかは、まだわからないけど。