優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

お酒の量

もともと、お酒には飲まれる方で、飲み会の楽しい雰囲気の中ではっちゃけて失敗したことは数知れない。それこそ夫に怒られたことは前にここでも書いたことがあるけど、往々にして普段しっかり者なだけに、私が酔っぱらって生活能力が50レベルくらい下がる姿を、可愛がってくれていた節もある(怒られた事件までは)。

それでも、一人で飲むなんていうことはずっと実家暮らしだった私はほとんどしなかったし、夫と結婚してからも、そういう願望を持ったことがなかった。でも、夫が体調を崩してからは、私も焼け酒みたいなものが増えて、心配してもしょうがないから、お酒で意識を飛ばして寝る、なんてことをよくやっていた。

そして、時は流れ、今自分がこんな状態になってしまった。夫が亡くなってから、数週間の間、私はお酒を飲みたくなかった。お酒を飲むと、意識が明瞭じゃなくなるので、何かから逃げている気がして、なるべく避けていた。でも、数週間経った頃から、具体的には義両親と何度かイベント的に夫とのお別れ会のようなものを開いた時から、お酒を飲むことを再開した。

実家では、私がこうして根詰めて色々と考えるので、少しでも気持ちを楽にしたら?とお酒を勧められることが多い。それ自体は、お酒を飲んでるだけでいや〜な目で見られるより全然幸せなことで、これだけ寛大、というか話のわかる親で本当に幸せ者だなと思う。きっと、私が今お酒に溺れることがあったとしても、一過性のものとして静かに見ていてくれると思うし、そうしているうちに、私はその状態から抜け出さねばと自覚するのだと思う。色々なことが機能している家族とは、こうにも物事がうまく進むのか、という思いを禁じ得ない。その対極にある機能不全家族には、子供という最も守られるべき弱者がいるという思いも、また新たにする。

そんなことを言いながら、夫と暮らしていた時には多い時で1.5リットルの発泡酒(低アルコール)を飲んでいた私だけど、やはり実家に戻ったらそんなにべろんべろんで翌日動けない醜態は晒したくなくて、2缶、多くて3缶に納めている。それでもアルコール関連疾患の基準値はオーバーする日があるので、毎日はやめようと思って、週3回ほどに限っている。こんなどうでもいい自制心、やっぱり実家でなければ生まれないと思う。今や死だって怖くないと言っている私が、家族の心情を気にしてアルコールの量をちみちみと調整しているのだから、ちょっとコミカルですらある。

ここのところ、何か今の自分にあった活動を始めたくなって、そのためにはやはり一人暮らしをしないと、家に人を招くことすらできないな、と思っていた。でも、アルコールにしても、食事にしても、もはや生産性がまったくない私にとって、やっぱり今生きているのは、実家にいるからなんだと思う。今頃一人で過ごしてたら、毎食ポテチとビールで終わらせていたと思う、本当に。もう少ししたらまた出直すとしても、今はやっぱり、これがお似合いなのかな。物件サイトは今日もみたけど、苦しくなって、すぐ閉じた。