優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

踏み出すきっかけは一人暮らし(の予定)

もうすぐ夫のはじめての月命日。全然おめでたい日でもないから、特に何にもしないかも。ことごとく慣習に歯向かう妻だな、私。でも夫もそんな感じだったから、むしろ褒めてくれるかも。気質的には、学生運動の時代に出会ったら、もっともっと危険な脆い恋してたかも。ゆとり時代にのほほんと育ってよかった・・・。

今日、姉の子供がテレビ電話をしてきて、私の両親が嬉しそうだった。恐らく、私が実家に戻って以来、ずっと我慢してた。私が家にいるから、できないことって色々あるよねと思った。昨日は両親の悲しみレベルが私と離れていっていることを感じたし、今日は私自身、こうしてアパートに1人でいられることを確認できたから、悲しいなりにも悲しいゾンビみたいなまま実家を出て、どこかに1人暮らししようかな。

私はもはやゾンビなんだけど、もう亡くなった日から直感としてあるのが、夫が亡くなった今、私は自分の身を滅ぼすか、夫以外の誰かともう一度恋するか、この2択しかないということ。滅ぼす選択肢は、今のところ魅力はあるけどやっぱりできない。今日のアパート滞在が苦しければ今日の夜、そうでなくても明日の朝に、夫が最期を遂げた場所を訪問しようと思っていた。そこで、同じシチュエーションを用意して、自分が踏み切れるか試すことを考えていた。でも、過去1ヶ月を振り返って思う。私には、それは多分、できない。夫がいない苦しみは、そういう行動に踏み切るに恐らく足る。むしろ、足りてしまうからこそ感情が鈍麻さえしている。でも、そういう行動の後、残された家族にかかる負担なども考えてしまう。更に、「自分の可愛さ」みたいなものもある。自分の命を絶ったら、想像するだけで、自分がなんだか可哀想。書き出すと、間抜けすぎるけど。これって、死ぬ前の人の思考じゃなくて、単なる自分大好き人間の思考だよね。夫にもこれはため息つかれちゃうかな・・・。

そうなると、誰かと恋をしなきゃでしょ?今日も父の運転する車の窓から街行く男性陣を見てたけど、気づいたら夫に似てる人探してるだけだった。全く恋なんてできるわけはないよね。夫が生きてるかもとすら思うんだから。なんで夫はあんなに私の心を鷲掴みにしてしまったのだろう。まるでお互いに催眠にかかってるみたいに、相手をメロメロにする魅力を出し続けたように思うなあ。ま、夫くんはまた違う意見を持つかもしれないけど。少なくとも私はそう思う。

ということで、いつかまた1人暮らしする元気がでるといいなあ、というお話。それで踏み出せるものも色々あると思うからさ。