優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

遺影は古い写真が良いかもしれない

本当に自分はせっかちだなと思う。

夫も天国で思ってるとは言わないけど、もし今のわたしを見たら、「みんみん、もう少しゆっくり僕のこと考えてよ〜」と言うと思う。

私が夫と最後にいつ穏やかな時間を過ごせたかな、なんて振り返るのは、自分の気持ちの整理がやけに早いスピードで進められようとしていると感じるからかもしれない。夫に変化があってしばらく経つから、ジャブを打たれているような悲しみの期間がけっこうあったのが効いてるのかな、とか。これは一理あると思う。もう悲しみの涙を出し切った後に夫が亡くなったから。夫の死を境に、もちろん大きすぎる断絶はあるんだけど、そもそも自分と夫がいた場所が、絶望の淵みたいなところで、そこから更に転落したのが今だから。

あるいは、もしかしたら今自分が何らか落ち着く方向に進んでいるように見えて、進んでいないのかもしれないし、無理してそれを進めているのが後で大きな落とし穴を呼ぶのかもしれない。自分としては、無理してるつもりはないけど、口からでるいろんな考えが、自分でもびっくりしたり、切り替えてて軽蔑さえすることもある。

もっと単純な話としては、夫の遺影を2007年のものにしてて、13年前の夫だから、もう長らく未亡人の気持ちになってしまったのかもしれない(笑)もし早めに抜け出したいと思う人がいれば、近影より昔の写真の方が、淡い思い出感がでるなあ・・・。

これが最近のiphoneさまさまの画素数最高の夫の近影だったら、夫の死をものすごくリアルに感じてしまいそう。そうしなくてよかったかもしれない。夫の死について、自分に何ができたかは一生考えていくことだと思うけど、夫の死について絶望的に悲しくなるのは、マストじゃないし、本当に生きているのがつらくなってしまう。

私はと言えば、毎晩ぐっすり眠れていて、あまり夢も見ていないし、食事については実家がカロリーオーバー食だから、むしろ体重が増えた。唯一びっくりするのは、目元のクマがすごいことで、これは心労からくる濃さだろうなあと思う。

しばらくは、右に進むでも、左に進むでもなく、この心地良すぎる実家で、ゆらゆらしてよう。ちょうど夫も幽霊でゆらゆらしてるかもしれないし、なんせ元の2人は、いつもゆらゆらしてるのがピッタリだから。