優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

反省とはなんだろう

わたし以上に夫のことをわかってる人はいないと思うし、わたしにわからなかった夫の本心は、夫以外誰にもわからないものだし、そのうちのいくつかは、夫自身もわからなかったんじゃないかなと思う。書き出してみて、超傲慢だけど。

明日の会社の医師との面談を前に思うのは、他人に言われる言葉でなにか自分が救われたいとは、少なくとも今の私はあまり思わない。夫とわたしがこれまで何をしてきて、どういう関係であったか、自分が一番よくわかっているという確信があるからかもしれない。

夫が私と出会って、一緒に生きてきた日々を通じて、幸せを感じてくれていたことは、100%間違いないと思う。でも、それは人生が苦しくなる前の話であって、闘病中の2年間はとてつもなく苦しくて、正直、みんみんと出会ってよかった、悪かったなどの話どころではなかったと思う。だから、「夫くんはみんみんと出会えて幸せだったと思う」と言われると、「うん、わかってる、でも幸せじゃない時期もあったから」と思う。なんとなく、そういう声かけをさらっともらうことがあったり、これからもありそうだから、言いたくなっただけ。

闘病中の2年間も、心の底から嫌われていたとは思わないし、激しく恨まれていたとは思わないけど、どこまでもわかりあえない無力感と苛立ちを、私に感じただろうなとは思う。それでも夫も私に期待と希望を持ってくれて、幾度とない衝突を超えてもなお、私を求めてくれていた。

私は苦しむ夫に対していつも無力感を感じていたけど、こんな風に、夫も私に対して同じ感情(無力感)を抱いていただろうと思ったのは、夫が亡くなった後からかもしれない。自分が夫の役に立てていないことはよく理解していたけれど、夫の立場に改めて立ってみて、私にわかってもらえない、理解してもらえない苦しさを当時のわたしがイメージできていたか、少し自信がない。

他方で、私だって今になって全て開眼したわけではなくて、過去の自分の方がよっぽど優れていたところはある。今は夫がいなくなってしまって、あとの祭りの中で、出来もしないことを理想論で言っているのがわたし。過去の自分の方が、巨大な難題を前に歯をくいしばって頑張っていたわけで、リアルだった。今こうして夫を死なせてしまってふぬけになった私なんかより、当時のわたしの方が揺らがない信念を持って頑張っていた。

反省とはなんだろうか。過去の自分を涼しい顔で批判することではないんだろうけど、自分はそうなってしまう。それは、第三者を批判しているのと同じように、あまり痛みを伴わない。反省とは、なんだろう。