優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

怒り、恨みとその昇華

夫の死について考えるとき、夫の死に関係したいろんな人のことが頭に浮かぶ。

どんな死だってそういうことはあると思う。

病死だって、事故死だって、過労死だって、自死だって、人が亡くなるということには何かしらの関係者がいる。遺された関係者たちがどれほど温かい感情を共有できるかは、きっとその人の亡くなり方によって違う。関係者の間で、素直に個人を偲べることもあれば、わだかまりが残ることもあれば、いつの日かそのわだかまりを乗り越えられることもあるだろう。

私の場合、夫の生前から、周囲の人々に大変なわだかまりを抱えていた。嵐のような日々を送る中で、夫も私もとにかく孤立していたし、ただでさえ苦しいのに、夫の病状を責められたり、説明を求められることもあった。

当時、夫と私は社宅に住んでいた。夫のことで、会社から呼び出しをされた電話は今でも忘れない。普段は仕事のやる気もない社宅担当の女性社員が、ここぞとばかりに私を責めていた。まるで夫が犯罪者であるかのように。私が彼をかくまっているかのように。パワハラを訴えたときには電話の一本もなかった人事部から、こんな電話を受けたことは、今でも私の中で会社への大いなる不信感として残っている。

でも、この経験についてはどうしようもない。立場を変えれば、病人をああやって吊し上げることの正当性を主張する人もいるのだろう。みんな、穏やかで幸せな暮らしがしたいだけ。穏やかでない住民に目くじらを立てただけ。責めることで改善させたかっただけ。私たちは、改善できないから、困っていたのに。こんな疎ましい人々がいる社宅からずっとずっと引っ越そうと思っていたのに、夫の賛同も得られなかった。

なぜ、心配する声より先に、ああいう連絡しか彼女はできなかったのか、とても悲しいことだと思う。でも、結局、「そういう人だから」という結論しかでてこない。こういうことの一つ一つが、私を追い詰め、夫を追い詰め、夫は居場所がなくなり、自宅から遠く離れた場所で亡くなった。もしずっと一緒にいられれば、あれほどに思い詰めることはなかっただろうに。こうして、私の会社と夫の死は、やっぱり切っても切れない関係に、私の中ではある。今の会社に勤め続けることを躊躇わせる。病気で苦しむ人を、責めるなんて、会社理念は偽りなのかなと思い、これに捧げる人生とは、なんなのだろうと思う。

こういう私の中で正式に雑魚認定されている少し遠い関係の人とは別に、もっと夫の治療や回復の過程に近かった人々もいる。家族とか、医療者とかだ。これらの人への気持ちは、もっと複雑だ。みんな、夫の回復を望んでいたことは間違いない。そのために思い悩んだことも間違いない。でも、どこかの段階で、みんなどうにも苦しくなって、去っていった。そんなとき夫と私は、どこまでも、どこまでも、本当にどこまでも、孤立の闇に突き落とされた。

夫が亡くなって、こういう近しい関係の人々を思い浮かべるたび、私の中に猛烈な怒りが湧くこともあれば、憎らしくて憎らしくて、藁人形でも作りたいこともある。何がこれほどに私の気持ちをどす黒くするのだろうと考えると、今の結果だけではない。むしろ、この人々の心のあり方なんだと思う。相手のあらゆる反応や発言が、保身ばかりで、誠実さに欠けるからだと思う。夫に向き合えなかったことについて、後悔してくれない。力不足であったことを認めてくれない。あのとき自分がこういう対応をすればよかったと、振り返ってくれない。でてくるのは、自分がベストを尽くしたという、聞いてもいない言葉だけなんだ。そして、「みんみんさんを尊敬しています」とか、「みんみんちゃんは後悔が多いでしょう?」とか、「みんみんさんと旦那さんに希望を感じました」とか、そういう、もう、なんとも言えない、なんの意味もない、言葉たち・・・・・・・・・・。

彼らが向き合えない理由は、わかっている。きっと、彼らは薄々気づいている。薄情なことをしたとか、逃げたとか、そういう意識は、当然あると思う。でも、彼らはそれを公然とは認めたくないのだと思う。一番痛いから。一番苦しいから。一番急所だから。少なくとも私に対しては、自分を守ることに、必死なのだと思う。とても夫の病気や生死の責任を背負うほどのことは、この人たちにはできないのだと思う。そして、私もこの人たちに正論をぶつけたところで、相手は動かないし、お互いに傷つくし、もうわかっているだろうという気もするので、ただ自分の中で、こんな悔しさにかき乱されているだけだ。

私の中で、この人たちに対する抑えがたいほどの怒りが湧き立つことは、今でも月に1回くらいある。これまでは、その度に「あの人たちに何か苦しい思いをしてほしい」とか「バチがあたってほしい」とか思っていたけど、冷静に考えれば、私が望むことは、まったくそういう因果応報みたいなことじゃない。だって、元々は夫に元気になってほしいと思っていた同士たちなのだから。夫を大切に思う気持ちが、この人たちには少なからずもあったはずなのだから。

私が望んでいるのは、いつかこの人たち1人1人が、心の中で夫と1対1で向き合うことなのだと思う。そして、向き合う中で、これまでの自分の行動を心から後悔してほしい。夫にばかりなすりつけた何かを、自分たちの方に引き取ってあげてほしい。夫は、人と人の間で亡くなったから。ずっと関係していた私たち1人1人が、もっと寄り添えれば、きっと夫は今も生きていたから。

このことに、この人たちがいつか気づいてくれることで、私のこの気持ちは救われるのだと思う。