優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

夫の力になれなかった

私と夫って、側からみるとちょっと危なっかしい感じだったんだろうなあ。

地に足ついてるような、ついてないような。夢の描き方とか、夫婦の形とか、ふわふわしてて、へろへろしてて。だからこそ2人で未来を描くことはとてつもなく楽しかったし、いつもわくわくしてた。みんなつまんない人生送ってんなー、うちらはこんなに楽しいぞー!と言いたいくらいの高揚感が2人の未来にはあった。

でも、この2人の間でも、見えていたものは経年で変わっていったんだろうなと思う。私はキャパシティが平均よりあって、というか尋常じゃないくらいあって、波乱万丈な生活に見えながらも、しっかり地面を踏み締めていた。どうやっても変に転ぶことのないように、突き進みながらもセーフティネットは1人万全にしていた。それは意識してそうなったというよりも、そもそもそうすることがわたしのビビリの性格からは自然体だった。自然体だったからこそ、その重要性とか、意味とかを私は自覚できていなかった。自覚できなかったからこそ、夫にも「私は崩れないようにしてるよ、あなたは大丈夫?」なんて声がけをしてあげることは、考えたことがなかった。

でも、隣にいた夫は、気づけばあらゆるセーフティネットを削ぎ落としてしまっていた。いつしかどんどん地面から離れていってしまっていた。夫の上へ上へという夢を、私は地に足ついたまま応援してたけど、いつからか「え、そんなに上いくの?でも地面がもうあんなに遠くなっちゃったよ?」って私が急に現実的な表情を見せたのかもしれない。私自身、とても大変な環境にいたから、自信を失くして周りを妬む私の姿に、夫も失望したのかもしれない。思っていたようなオールマイティで無敵の彼女ではなかったという、ショックもあったのかもしれない。それで、私という豆の木があれば、世界中のどこまでも行ける、なんでも挑戦できると思ってた夫が、急に激しい不安感に襲われてしまったのかもしれない。

夫を応援することが、夫のよき理解者であることだとずっと思っていた。夫の意思を尊重して、どうにかそれに挑戦できる環境を支えること。でも、わたしが提供できるのは経済的安心感であって、夫の存在そのものの安心感は、提供できなかった。本当は、私の言動がもっと異なれば、それも提供できたはずだと思う。でも、できなかったのが私の場合。愛情があれば、存在の肯定になると思っていた。そのはずなんだけど、愛情の安心感も提供できていなかった。私がしっかりしてほしいと思って言った心ない言葉たちを、夫は言葉通りに受け止め、「みんみんに切り捨てられた」と言ったことがあった。

そう考えると、あの晩に交わした会話が、夫の発症の原因になってしまったのかな。その翌日からも、痴話喧嘩だったと仲直りをしていたのに、夫の心には大きな傷が残ったのだろう。そうだな、やっぱりあの晩なのかな。でもあの晩にいたる半年も前から、夫は元の様子から変わっていた。あの苦しくてどうしようもなくて変わっていた時に、わたしが手を差し伸べることができていたら。

後悔はつきない。夫はわたしの隣にいながらにして、自分がこれほどの苦しみの果てに追いやられ、最後に命さえ尽きることなんて、想像もしていなかっただろう。

何度考えても、何度考えても、現実が苦しい。