優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

焦っていた自分

夫の闘病が始まって、私は目の前の状況にあらゆる喪失感を抱いていた。

健康で朗らかだった夫が、もがき苦しんでいるという現実。

深い信頼で結ばれた夫と私が、お互いを責め合っている現実。

それ以外に、自分が人生で求めていたもので、手に入らなくなったと焦るものもあった。

未来に希望をもった幸せそうな夫の姿。

夫と私から生まれるこども。

もっと高みを目指していた自分のキャリア。

街の商店街をふざけて笑いながら歩く一家の姿を見て、私にないものをどれだけ手にいれているんだろうと思って、目を伏せて歩いた。

一方では、私は夫が元気になることをゆっくりじっくり、いつまででも待ちたいと思っていた。それは夫が私にとって、この世界で一人だけの特別な存在であることを痛いほどわかっていたから。夫の目に希望の光が戻ることが、私がこの世で一番大切に思うことだと理解していたから。その言葉を夫にも何度も伝えていた。いつまででもあなたの味方だから、一緒に乗り越えよう、と。夫もうなだれて頷いてくれていた。夫があのような最期を遂げたのは、私のこのような声が途切れ、その希望を信じられなくなったためだと思う。いかにこのメッセージが大事であったかを実感する。

でも、もう一方で、私は人生で手に入らないものを嘆き、焦り、悲観していた。そしてその感情を夫にもぶつけていた。激しい言い合いの最後に、私が夫のせいで全てを失ったと切り札のように吐き捨てたこともあった。お互いの刀がお互いを向いていたけれど、夫は不器用にそれを振り回していたのに対して、私の刀は確実に夫を突いていた。

医療者からは、肩肘を張って耐えようとする私に、夫の病状を周囲に隠さず、カミングアウトすることを諭されたこともあった。今考えても、あまりに私たちの心情から解離した助言だったと思う。弱者であることを受け入れて、周りにも詫びるように恩赦でも求めろというのか。あの時の私は、そんな助言が欲しかったのではない。周囲はどうでもいいとすら思っていた。だから苦しみながらも、夫を最優先していた。

むしろ、私が最も苦しんでいたのは、自分たちの存在を否定してしまう自分の気持ちだ。「あなたたちは、あなたたちのペースでやればいい、2人の存在そのものに意味がある」と言って欲しかった。周囲のあらゆる人の境遇と自分たちを比べて悲観する私に、今の自分ならかけてあげたい言葉がある。「あなたたちは唯一無二だよ、何者とも比べようもない、あなたたちだけの意味と価値がある。だからあなたたちの人生に胸を張って、今を生き抜けば良い」と。

人は苦しい環境に置かれると、突如として周囲が気になり、周囲と同じ価値軸に生きていると錯覚する。幸せな時は、そんなこと意識もしないのに。私は周囲との関係そのものに悩んでいたのではなく、周囲との関係に意識がいってしまう自分に悩んでいたのだと思う。それは自己否定につながり、自分たちを愛せなくなるから。

今更気づいても、ね。