優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

月命日 当日を振り返る2

夫が亡くなる当日、朝9時過ぎに一度ドア越しに話し、一旦離れた上で、また10時30過ぎからドア越しに話した。亡くなったのは、11時過ぎ。11時3分の時点で、私はケータイの時計を見ながら、夫に部屋の外から声をかけていた。そこから数分の間に、夫の人生は終わってしまった。

月命日を重たいものにすると、これから毎月、生きている限り、14日にずっしりとした気持ちになり、ずっしりとしない時は罪悪感が湧き、とにかくカレンダーに縛られた日々になるので、あまり意識したくはなかった。でも一方で、自分の中の夫を恋しく思う気持ちは、常に夫につなげて考えるためのホックを日常の中で血眼で探していて、今日はやはりその気持ちに大いに引っ張られた。「ああ、1ヶ月前のこの日、この時間はこれをしていた、これをしていた」と振り返り、夫が亡くなった時間の前後で、気持ちがとても苦しくなった。このとき、こうすればよかった、こんな言葉を使えばよかった、そもそも自分の考えが間違いすぎていた、関係者から提供された情報さえ間違っていなければ、あんなことさえ画策しなければ、と後悔ばかりが募る。

本当は、夫の身の安全に問題がないよう、事前に施設関係者に状況の確認を再三していたが、先方の情報に誤りがあり、夫の部屋の中の設備が、事前情報からはありえない動作をした。この大いなる勘違いが、夫の死に最も直接的につながった。これは、おそらく裁判でも起こせば、先方の業務上過失致死で勝てる事案なのだろうと思う。そのようなことはあり得ないと、事前に先方の支配人が明言し、保障していたからだ。

先方はまったく音沙汰なく、雲隠れしており、誠意は何ら感じない。あの情報さえ正しいものを把握できていれば、同じ結果になっていないと、断言できるだけに、悔しい。この怒り、憎しみが自分の中でこれ以上育たないことを望んでいる。ただ、私の予想では、この怒りは経年でどんどん大きくなるものだと思う。なんと悲しいことだろう。夫はきっと残された私たちがそのように事態を荒立てることを喜ばないだろう。でも、残された私たちも報われたいという思いを、今後どんどん大きくしていくのだと思う。

そんな、人への恨み辛みも、この日はどんどん湧き上がってくる。