優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

衝突と後悔

夫が亡くなる前、最後に会ったのが10月下旬だったから、今から1ヶ月以上前。亡くなってからは2週間ちょっとなのに、もうしばらく会ってない気がする。

元気で健康なときの夫には、もう2年以上会えてないし、その前にも夫は1年間くらい、夢を叶えようと力を振り絞りながら苦悩している時期があった。そうなると、学生時代からの、のほほん、ほのぼのとした可愛い夫には、かれこれ3年会ってないということか。その間も、もちろんこんなことが起こると思っていなかったので、山あり谷ありの2人の関係の谷部分だなと思ってたし、夫の本質は何一つ変わらない、これだけ苦悩するのも夫の人間性があってこそなんだと思ってた。でも、今となっては、やっぱり私の心に残っているような2人の時間は、3年前を境に急激に減ってしまったなと思う。それまでは喧嘩知らずだったけど、この苦しい期間には、お互いを責めるような、2人らしくないこともたくさんあった。そんな力量は本来ないかもしれないのに、上昇志向で夢を追求したから。世界の中心に挑んでいってしまったから。するするとそんな環境に入り込んでいけてしまったから。その中で、自分たちが相当場違いな場所に来たことに気付いて、お互いが急速にみすぼらしく感じられて、攻撃しあったな。

ちょうどその頃、2人である映画を見た。"Do the Right Thing"という、89年に公開された、アメリカのブルックリンが舞台の映画。白人が絶対正義であるアメリカで、白人様は悠々と生活する下で、底辺にいる移民同士が無様な衝突をする映画、そんな印象だった。私も夫も、純粋に良い映画だと思った。と同時に、自分たちの環境をまざまざと見せつけられるようで苦しさも感じた。私はこの映画のイタリアンとブラックの関係性が、私と夫のように感じられた。きっと、夫も同じことが頭をかすめていたと思う。この社会のヒエラルキーを牛耳る本当の敵は他にいるのに、弱い者同士が痛めつけあう。白人に生まれれば、こんな苦悩はなかったのだろうか。アメリカの写真を見返すと、夫が撮ったポスターの写真がある。"I just want to be a WHITE GIRL"。そんなこと、日本にいれば苦悩することはないのにね。

それでも、無事そんな試練を乗り越えた時には、この経験を糧に人生を歩もうと誓ったのに。そんな思いも束の間、私は次の職場でパワハラに遭い、夫が一番苦しい時に、私も過労で潰れてしまった。前任者のNGなトラブルが次々と表出し、深夜まで関係先への謝罪やフォローの毎日。上司にはあらゆる期限をギリギリまで積み上げられた上に、追加のトラブル対応の海外出張まで命じられた。「もうこれ以上仕事を増やせない」と言う私に、関係先の前で「行け」と指示する上司の顔が忘れられない。口元まで水位が来ているのに、頭を鷲掴みにされて、沈められるような感覚だった。帰宅すれば、夫はきっとこの時期、同じように苦悩していたのに、その姿さえ思い出せない。思い出すのは、海外出張の前日に、夫と激しく衝突したこと。喧嘩した状態のまま私は出発し、出張から戻った夜、夫にこれまでで一番ひどい言葉を放ってしまった。

「あなたより優しい人は、この世の中にいくらでもいる」

夫はこのとき、見たことがないほど傷ついた顔をしていた。

あのとき、もっと違う職場だったら、夫の最後の分岐点で支えることができたかもしれない。あの時、配属直後の私にトラブル事案をなすりつけた人たちは、今も同じ部署で上を、上を目指して業務に励んでいる。夫の闘病期間中は彼らを憎く思うことも時々あったけど、夫が亡くなった今となっては、その人たちのことを深く考えることすら虚しく感じる。世間には、ああいう残念な人もいるのだなと思うしかない。

当時のパワハラ上司の下では、私の後も毎年、若者の部下が上司からの圧力と過労からくる心の病にかかっている。そんな不幸を生み出す人が、存在していいのだろうか。夫の体調が持ち直した際には、私もそんな若手の同僚たちに一生懸命声かけをした。でも、もう一番の被害者は私になってしまった。私としては、この上司も可哀想な人だと思っているから、恨みみたいなものはない。ただ、こんな過ちを繰り返していることを把握しているにも関わらず、うちの会社は女性の社会進出を背景にこの上司をどんどん昇進させているのだから、恐ろしい会社だなと思う。

もうこの会社は去りたいな。でも、用意周到な自分は、勢いでやめるんじゃなくて、計画的に辞めるぞ!もう一人身になってしまったのだから、困窮しないように、しっかりせねばと自分に向かって繰り返している。