優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

自己評価を新たにする

夫が体調を崩したとき、どうして私よりもっと夫のことを心配しそうな人々が、一斉に駆け寄ってこないんだろうと思った。思った、というより、そのことで悩み、苦悩していた。2人だけで、ずーっと苦しんでいるような状況だった。時折様子を見にくる人はいても、ひと月30日のうち、29日と23時間は、2人きりだった。

夫が亡くなってから、死別者の方のブログで、ストレス点数なるものを知った。

人が人生で経験するストレスの中で、配偶者の死が一番ストレス点数が高いんだって。

そうなんだね。私、ずっと親子の結びつきの方が強いんだと思ってた。でも、違うらしい。なんと、配偶者の死と、親族の死は、10点も違う。

その人への影響力という意味では、配偶者より親の方が強いんじゃないかっていう私の推測は、まだ取り下げたくない。幼少期から刷り込まれた自己肯定感(自己否定感)や、安心感(不安感)は、良くも悪くも呪いのようにその人の一生につきまとうと私は思う。その人自身が、何かブレイクスルーを経験しない限り。ものすごい努力を経て、自分が親を超えたと実感するとか、親が死んで、親という存在そのものがなくなるのも、ブレイクスルーにつながるかもしれない。

でも、心の繋がりは、配偶者の方が大きいのは、納得できる。私自身、あんまりそういうことを自分に照らして考えたことなかったけど、こうして夫がいなくなってわかったのは、夫こそが、私がこの世で誰よりも何よりも大切な人だった、ということ。それはもしかしたら、本来であれば全く関係のない、赤の他人の状態から、ここまでの信頼感を築き上げられたという、奇跡と感謝と感動が渦巻く関係だからかもしれない。血縁関係には決してない「奇跡」が、夫と私の間には常に輝いていた。

そのことを、もっと私が実感して、自信を持てていたらよかったな。私が自信を持って、誰に寄りかかるでもなく、誰の救いを待つでもなく、夫の回復を私の使命そのものとしていたら。「私はあなたのために在る、あなたも私のために在る」とまっすぐに夫に伝えられていたら。その表明を通じて、もっと頼りがいのある妻になれたかもしれない。私は夫の闘病期間中、ある時からいつも周りを恨み、周りがすべき行動を、果たすべき役割を果たしていないと他責的に考えるようになっていた。でも、何より自分が夫にとって、奇跡のように美しい存在であるということを、私自身がもっと、もっと、もっと実感すればよかった。そのことを誇り、その自負を胸に、何者をも恨まず、ただ夫と向き合えばよかった。私は場つなぎではなかったんだ。夫の希望そのものだったんだ。それも、パセリなんかではきっとない、夫の人生に降り立った奇跡そのものだった。

自分と夫との関係について、これまでも自分の中で十分にその真価を認めていたはずなのに、また一つ、確信を持った気がする。それと同時に、その関係をしっかりと踏みしめて、私がもっともっと前に出て、できることがあったように感じる。私は無力なパセリの妻ではなかった。夫が心から信じた、この世で唯一の人だったんだと思う。

このことから派生して、いろんな考えが頭の中を今巡ってる。自分は今、誰にとっても配偶者でも、恋人でもないから、私がいなくなっても、今の私ほどに苦しむ人は、いないね。夫と私がセットで消えることを、誰も止めることはできないような気もしてきた。それは、それで、完結するから。

また感情鈍麻の時間帯だ。午前中の冴えてた悲しみから、今は眠気すらある。ただの、寝坊助かな。夫くんのセーター着てるから、あったかいよ。大好き。