優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

受け入れない

夫が亡くなったことがまた信じられなくなってる。

何か感じたくて、夫との写真を1時間くらい見たけど、悲しい感情はあまり湧いてこない。代わりに、気分が悪くなって、吐き気がしてくる。これ、夫が亡くなる前は体験したことのないことなんだけど、なんなんだろう。感情はストップかかってるけど、体が反応してるのかな。吐き気っていうのもなんだろうね。受け付けない食べ物を食べたときのような?夫が亡くなったということが受け入れられなくて、吐いて出そうとしてるのかな。そんなことしても、事実は変わらないのにね。

昨日と今朝の安らぎの心地から一転、また深い苦しさに覆われ始めている。

安らぎの気持ちは、少し自分が変わっていくことを予見させたけど、そういうことでもないみたい。やっぱり、夫がいないことは、私にとってあまりに大きい。この世で一番好きな人がいなくなるって、悲しいことだね。誰よりも好きだったのに、いなくなっちゃったよ。人類、生物の中で間違いなく一番好きだった。一番大切だったのに、わたしの大切なんて、あれくらいのことしかできなかったのかね。もっともっと、私にできることはなかったのかね。

失ってしまった人が、急にどんな人だったかわからなくなる瞬間もある。私とは別々の人間であった、という当然のことを再自覚したりもしている。もしかしたら夫は、わたしなんかよりも前にそのことに気付いて、それも含めて絶望したのかもしれない。

1ヶ月前の今日、夫はどんな気持ちで眠りについたのかな。明日から一体どうしよう、と思っていたのかな。なんで私に連絡くれなかったのかな。私の反応を見るのが怖くなってしまったのかな。もう、悲しみと苦しみの限界の、限界の、限界のところにいたんだろうな。今の私が夫のことで周りに強烈に責められるような感覚かな。その責める集団の中に、夫もいるような感じかな。もう、そうなったら、圧倒的孤独を感じるよね。孤独は人を殺す。夫は病気で死んだんじゃなくて、人と人の間で亡くなったんだ。行き先も逃げ場も生きる意味も全て失って、世間に謝るようにして、迫りくる私たちの手から、指から逃れるようにして、力なく死に至った。

私は1ヶ月前の今日、1時間やそこらの思考の結果、あんな行動を取ってしまった。1ヶ月前の今日、今この時間に、もしもっともっと夫の気持ちに心を馳せていられたなら、きっとこういうことになっていなかった。きっと2020年はなんとか終わって、21年からもまた2人3脚で夫と生きていくはずだった。その中には、また深すぎる海に溺れそうになってもがき苦しむことも多々あって、きっと焼けた鉛に押しつけられるような日々もあったと思う。それでも、握れば握りかえしてくれる夫の手が、そこにあったはずだ。私がひざまづいて絶望していたら、「僕もだよ」って誰よりも弱々しい声で言ってくれる夫がいたはずだ。そして、嵐の中のふとした瞬間に全てが止んで、ひだまりのように暖かい夫の目と見つめ合って笑えた瞬間もあったはずだ。

今、溺れる海もなければ、焼けた鉛もない。当然、夫もいない。あるのは、無だけ。

夫に会いたい、会いたい、会いたい、会いたい。会いたくて、会いたくて、会いたいけど、もう一生会えなくて、会いたいのに、会えるはずなのに、会えるべきなのに、もう、会えない。

こんな人生、本当に本当に拷問だよ。