優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

試行錯誤と自問自答

夫が病に苦しみ、自分がその力になれず、最終的に夫が亡くなってしまったことの原因追求にしても、夫が生きてくれていたら今頃何してるかなと思い耽ることも、また夫がどれだけ優しかったかとか、可愛かったかとか、面白かったかとか、笑っちゃうくらいへんてこだったかとか、そんなことを思い浮かべることも全て、夫の死を私が乗り越えるためには、大切な考えごとなんだと思う。

ただ亡くなったことを考えると、やっぱり到底受け入れられない。自分の至らなさとか、自己中さを思い出していても、どこまでも自分が憎くなる。他に恨めしい人を思い浮かべても、さらに恨みが倍増していく。でも、丁寧に経緯を見ていくと、その中に夫と自分の頑張りや愛情や必死にもがいた時間があって、ただ何も努力もなく終わったものではないとも思える。そして、夫との良い思い出をふわっとその上から纏わせると、イガイガのトゲトゲの気持ちも、少し救われる。夫に、このどうしようもない失敗体験を、慰めてもらっている。

私は、本当に頑固だし、根詰めて考えることは、得意だから、夫が亡くなってからというもの、コロナの自粛生活も相まって、ずっとこういうテーマのあれこれについて、考えている。本当は、自粛がなければ、そろそろ友人にも会いたい気持ちもあるけど、きっと会いたい気持ちが出てきた今くらいが、ちょうどいいんだろう。無理して会ったりしなくて良かった。相手のことも困らせたし、自分も相当無理したかもしれない。一人でこうして考えているのが嫌になったら、会えば良い。まだまだ、自問自答が私には良い気がする。

誰に夫のことを話すかということも、これから私が少しずつ外に向いていく中で、慎重に考えなければいけない。先日、同じように家族の精神疾患に悩む先輩女性が職場でいて、キャリアを突き進んで転勤していくか、少しブレーキを踏むかの重要な局面にいた。私は、そのいろんな調整や交渉も代行する役割にあって、なんとか職場から彼女への理解を取り付けつつも、彼女の最終決断を待っていた。その中で、私は夫が亡くなって初めて、まったく関係ないこの先輩に、夫が心の病で先日亡くなったことを話した。それで、仕事の挽回はあとでもできるから、闘病する家族のプレッシャーにならない選択を考えるのも一案だと伝えた。患者ごとに状況は全く違うと思うと伝えつつも、重要な判断をするにあたって、そういう情報が入ることも、大切だと思って伝えた。そうしたら、その方はとても驚いて言葉を失った後で、うちはそこまで深刻じゃないんだけど、というようなことを言っていた。

うん、確かにそうなのかもしれない。私も相手の立場なら、そう言う。

どこかそういう話は、別世界だとずっと思っていたから。

だから別にその言葉に傷ついたわけじゃないんだけど、まあ、そうだよなあ、と思った。

そして、なんだか夫の話を教訓のように軽々しく共有してしまって、夫に失礼な気もして、そうやってこの話を消費するのはやめようかなと思った。

こんな風に、自分なりに色々と試行錯誤しながら、この意味のない毎日を過ごしてる。