優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

よかれと思ったことが過ちだった

「今日は夫に会いにいくぞ」と最後に思えたのはまだ1ヶ月ちょっと前なのか。

夫が生きていることが当然の世界で、まだまだ2人で苦難を乗り越えていくつもりでいた頃。ようやく何か光が見えるかもしれないと思って、これからが正念場だ、年末までに何とか現状から抜け出したいと思っていた頃。

当日は、ようやく集まったメンバー3名で、夫に会いに行くことになった。前日の日記で、私は明日から事態が変わると強い希望を書き綴っていた。「愛と関心でもみくちゃにしてやる!待ってろ、夫。」そんな文章に意気込みを表現していた。集まった我々3名は鈍臭くて役立たずだけど、夫にとっては誰よりも大切な3人だとわかっていたから。このメンツを集めるために、何度も何度も諦めずに交渉してきたのだから。きっと3人で会いに行けば、夫の中で何かが変わる。夫はきっとこの3人を待っていた。これまで取り組んできたことは絶対間違ってなんかいない。上を向いていくための準備をしていたんだ。そう私は確信していた。

「これから幸福度を挽回できると信じてる。 夫と私なら、きっとできるって信じてる。」

そんな文章で日記を締めくくっていた。

それから12時間もたたないうちに、夫はドアを挟んだ向こう側で命を落とした。優しい優しい夫は、自分だけを責めてしまったのだと思う。愛情が重すぎたのかもしれない。私の意気込みが過ぎたのかもしれない。当日まで1人で耐えてもらった時間が、あまりに苦しかったのかもしれない。そもそも、夫を変えようとする考え自体が間違っていたのだ。きっと、その全部だし、他にもいくらでも理由があったと思う。

私はまだ、夫が亡くなった当日の出来事や、夫がどんな思いで亡くなっていったのか、十分考えられていない。正解は永遠にわからないから、きっと十分なんて時はこないんだろうとも思う。唯一希望があるとすれば、いつか夫が、「あちゃー、なんてことしちゃったんだ。僕、もっとみんみんと生きたかったな」って思ってくれたらいいなと思う。その思いを共有できたら、私は救われる。私から離れたかったと思われることは、とても悲しいから。

こんな日差しが暖かい日には、いつも早起きの夫が、朝早くからソファに座って、1人静かに本を読んでいた姿を思い出す。さらさらの黒い髪に朝の光があたって、口元を少し微笑ませて、何時間でも本を読んでいた。あの姿がとても好きで、いつまででも見ていられたな。あの夫がまた見たい。あの夫に、また会いたい。