優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

苦難への対処方法は人それぞれ

夫が亡くなったことについて、私は死ぬまで実感できないと思う。ここ1週間くらい、人の死を実感することの難しさを痛感するし、今実感できなければ、記憶が薄れて美化されていく未来は一層できないだろうなと思う。

それでも、会話や文章では「夫が亡くなった」と書いているし、意識の浅いところなのか、深いところなのか最早わからないけど、どこかで亡くなったことは自分の意見としてある。

遺族の心境について書いてあるどっかの自治体のページで、遺族が「本当はその人が死んでないと思いこむ」ことが時々あると書いてあった。人によって自分を守るための思考の方向が色々あるんだなと思う。私の場合は、その発想はなかったけど、自分なりの保身としては、こうして考えを書き起こしまくることで、なんとか心の中に苦しさを蓄積させないようにしているんだと思う。また、それを公開することで、誰かに聞いてもらっている安心感を求めているのだと思う。夫にも、ブログを勧めればよかったな。苦しい時って、ただ隣で聞いてもらうことが大事だなと、夫が体調を崩した期間もずっと思っていたし、亡くなってからは従来以上に確信した。ブログは、そんな場所になりうると思う。

今週、また夫の両親と一緒に過ごす予定。亡くなってから週末で3週間になる。3週間という時間の中で、おそらくそれぞれが自分なりの方法でもがいたり、苦しんだりしてる。少し夫との距離感が違う3人であれば、気持ちに余裕を持てる人がいて、他の悲しみで潰れた人を癒すこともできるかもしれないけど、3人とも夫と直接の関係だから、きっとそれぞれに強い悲しみ、怒り、後悔などがあると思う。

3人の性格はとても違う。自分に何ができたか思い詰める人、そういう考えが苦しくて逃げ道を探す人。思いつめても、結局自分を守れる図太い人(私)と、思いつめたら自分がどうにかなってしまう人。今後、夫のことについてああでもないこうでもないと話す中で、どうしても会話がちぐはぐになることがあるんだろうなと思う。でも、そういう差異に惑わされずに、お互いを慰めあえるといいな。夫について一人称で語れる3人は、他にいないのだから、議論とかはしないようにしないと。議論を始めるとしたら、議論派の私だから(笑)、私の信条と違う発言があっても、この人なりの対処の仕方であって、正しいも間違いもない、と聞き流すようにしたい。なんとなく気持ちが揺れそうな気がするから、自分への戒めに書いておく。