優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

朝と夜がつらい

朝のつらさは少し慣れた気がする。

なんでも最初が一番つらくて、2回3回と経験すると慣れてくる。

夫が亡くなった当日も、その翌日も、これが細部までよく出来すぎた夢だったらよかったと思っていた。目が覚めたら、夫という存在が復活した世界になっていたらいいなと思った。

朝起きて、夫の存在がdeleteされた世界のままであることに気づいた絶望感は強烈だった。11月の朝日が部屋いっぱいに差し込んで、部屋の中がこれでもかと明るい中で、とてつもない虚無感と取り返しのつかない苦しみの感情に襲われた。虚しさって、肥大化すると絶望感になるんだなって初めて思った。

 

夜のつらさはまた一味違う。

夜は積み上げ型で苦しさの粒を噛み締めていく。

1日見つめ続けた遺影の笑顔が見ていて苦しくなってくる。日中に眺めていた写真や動画はほんの数年前。この誤差くらいに最近の記録の中では、とびきりに幸せでほのぼのした2人なのに。その幸せだった日々と、今無言で笑う遺影を前にして、暗闇がドーンと自分の上にのしかかる気分。夜のつらさは、ちょっとしたきっかけからじわじわくるだけに、どんどん大きくなって覆ってくる感じが怖い。もう2度と〇〇できない、行けない、聞けない、見られない、などの「2度とできないシリーズ」が次々と自分の頭の中に浮かび上がって、自分をどんどん追い詰めてしまう。朝だって晩だって、むしろ亡くなった日から、改めてあんたが考えなくたってそりゃ状況は同じだろうと誰かが冷静に突っ込んでくれたらいいのに。いや、そんなツッコミ入れる奴が本当にいたら私は傷ついて怒るんだろうけどさ。

 

実家に帰ってるおかげで、「これ以上考えるとまずいな」って時に、うまくストッパーをかけられている気がする。本当に、1人で過ごしていたら大変なことになったと思う。将来、こういうボランティアがあればやりたいと思うくらい、死別直後の一人暮らしは本当に老若男女きついと思う。人の生活音や声が家の中にあるだけで、その悲しみが真実ではあるけど唯一解ではないと気づかせてくれる。自死だって、人と一緒の場所で起こりにくいのはそういうことなんじゃないかな。一人で思いつめないと遂行することがとても難しいと思う。一人になれた時や、他の人の声や考えを実質シャットアウトできる擬似の一人空間で起こりやすいんじゃなかろうか。そう考えると、人とつながって、思い合えることって、本当に大切なんだな。しつこいようだけど、そうすると私の一発ギャグがあれば夫の死は回避できた論もあながち間違ってないよね。何かその場の雰囲気を壊す破壊力をぶっこむって、すごく効果的だと思う。わたしが夫と言ってたのって、もう小学生並の低俗なギャグだったから、本当に気が抜けたと思うんだけどな。本当に必要な時には活用できなかったな。

 

もっと色々考えようと思ったことがあったけど、とりあえずこれで一旦休もう。

自分がどんなことを考えているのか文字に落とすことで、すごく救われてる。