優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

泣き疲れた日

四十九日が終わった。

22時くらいから、夫の遺影をいつもの勉強机から低めのチェストの上に移して、夫がシリーズでくれていたA.P.C.のキャンドルを両側に置いて、点灯してみた。やばい。けっこう格好いい雰囲気になった。イケてんなー。でもね。やっぱり私が好きなのは夫のわちゃわちゃ感なんだよなあと思って、これまでにもらった愛すべきぬいぐるみコレクションを足してみた。リラックマコリラックマみんくる、ちょこぽん、ポニョ・・・ちょこぽんだけが、どマイナー。夫がある時ドヤ顔でくれた、ぬいぐるみ作家さんの作品。そうしたら、なんかにぎやかになって、遺影の夫の笑顔がぽわっと明るい雰囲気になった。やっぱ、これだよね。

それで、夫と私の分でハーゲンダッツをコンビニで買って、夫が大好きなマカデミア味を食べてみた。この遺影とご飯食べるみたいの初めてやるんだけど、まだ慣れないな。結局2つ買ったけど、物理的に消費するのは私1人だし・・・夫も食べてくれてるのかなあ?私は辛党だから、こんな夜に甘いもの食べないんだけどなあ。

それで、今日荷物整理で出てきた日記帳につらつらまた思いを書き込んだりして、最後はオザケンの「ぼくらが旅に出る理由」で見送った。この曲が一番お気に入りかなあ。この曲を聞くと、悲しい別れが魔法にかかったみたいに明るくなる。それで、夫くんと大きく手を振ってお別れした気がした。そうそう、私が昔チベットのラサに旅行に行ったときに買ったマニ車のキーホルダーがあって、私のは赤いビーズがついて、夫のは水色のビーズがついてたんだけど、夫の荷物の中から夫の分を見つけたから、今日はオザケンに合わせてマニ車をぶんぶん振ったのでした。お葬式のときは無宗教のスタイルだったはずが、いまや普通の仏教を通り越して、チベット密教で夫を送り出す私。相変わらずのeclecticな感じが、いいでしょう?(夫くん!)

はー、今日も、泣いた、泣いた。夫くんが遠くに行っちゃうと思ったからかな。あと、すごく最近の動画を見つけてしまって、それも涙腺に火がついた。とにかく一日中泣くことに忙しくて、朝食べて泣き、昼は一度食卓につくも、周りのお正月モードが嫌になって退出して泣き、また夕方まで泣いたあとで夕飯食べて、食後そそくさと部屋に行って、泣いた。今も、居間では母親がお笑い番組を見ていて、何度も高らかに笑ってる。あんなに人は高らかに笑えるものかしら。だんだん、私は周りとの気持ちの距離が広がって、お互いに無理って思うんだろうなあ。四十九日という区切りも過ぎてしまったし、やっぱり夫くんグッズとどこかでひっそり暮らしたいな。まるで夫くんがいるかのように、朝のお茶を一緒に飲んで、夜はハーブティを飲んで、一緒に布団にスナグルして眠りたい。最近、猫を飼いたいなあと思ってるから、ペット可物件。ふう、次の目標にしよう。