優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

記録魔

過去に思い立ってブログを書こうと思って開設したことはあったけど、3日坊主どころか投稿2回くらいで終わってしまったように思う。

 

夫との闘病が始まってからも、ブログは特にやらず、ひたすら自分のパソコンに日記をつけていた。喜怒哀楽がブンブン振れる日記。嬉しいこと書きながら次の瞬間に絶望したり、絶望の中で夫と心が通じ合って泣いて喜んだり、夫が苦しみながら痛いほどの優しさと愛情を伝えてきてくれたり。

 

闘病の途中にも、そして夫が亡くなってからも、「あの時自分は薄情だったな」とか、「夫から離れて自分だけ休んでしまっていたな」とか、「ひどいこと言いっぱなしにしたな」とか色々考えた。でもその頃の日記を振り返って読み解くと、その時々で必死に食いしばって奔走している自分がいた。頑張って、頑張って、頑張って、まだ頑張って、転んで擦り傷負ってたら車が突進してきてもまだ立ち上がって、目の前を走る夫に全力で飛びついて抑えてようやく2人で落ち着いて一瞬会話する。また翌日から爆発する夫の周りでなす術なく心臓を痛めながら寄り添いようもない中で寄り添おうとして、それなのに夫が耳を向けた瞬間にひどい言葉が私の口を突いてでてしまう。そこから猛省と自己嫌悪に陥って、この苦しみの中で手を差し伸べてくれない周りに腹の底から怒りをぶつけたりしながら、それでも次に夫に会ったときには反省と謝罪と愛を伝える。そんな日々を365日、送っていた。

 

その軌跡が、この記録に残っている。記録を読めば、確かに2人で立ち向かっていたとわかる。一番苦しくて頑張っていたのは間違いなく夫なのだけど、その7割くらいを私も実感しようと必死だった、そう思える。そのために私はこの期間を生き抜いていた。

 

結末がこんな結末で、ましてや夫を死に追い込んでしまったという重石のようなものを背中に背負った今、まるごと自己否定をしたくもなる。でも、子犬の2人が耐え抜いて耐え抜いて闘った2年間でもあった。そのことを胸に何度も何度も刻んで、夫と自分を称え合いたいと思う。