優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

風に吹かれて

月に一度、とんでもなくどん底に私を落とす奴がいる。

生で始まって理で終わる、そう、生理というもの。

月命日とか記念日なんかももちろん苦しみもがくのだけど、生理の始まる直前と最初の数日は、本当にハンパない威力がある。今回は、死ぬ日を決めて、それまでのやることリストを書いて、死に方を調べていた。もちろん死ぬ日はかなり先に設定していて、段取りも世の皆様に迷惑をかけぬようかけぬよう考えて、そして死に方は、えーっと、痛くなくて、確実に決行できて、できれば死に様が綺麗な方がいいなとか考えるもんだから、結局決まらなかった。そんな死に方は、なかなかない。夫くんみたいにスマートに美しく死ねることなんて、まずないから。ネットにはさも全ての亡くなり方を熟知してるかのような先輩風吹かす奴がたくさんいて、「この死に方はこうなる」とか偉そうに言っているのだけど、死に方なんて様々で、夫くんは、とても綺麗だったな。

死ぬまでにやることリストを考えたら、一つ目は「会社のデスクから私物を持ち帰る」だった。なんでかなって思ったら、私は自分の親のことを考えているみたいだ。もし私がいなくなって、親が私のデスクの私物を取りにいかなきゃいけなかったら、すんごく惨めだろうなと思って。今の私のデスクは夫が亡くなる前のまま、引き出しにぎっしりお菓子が詰まっていて、こいつは絶対人生の悩みはないだろうなって感じの能天気なデスクだから。しかも不衛生にコップとか洗わないまま突っ込んであるし、歯ブラシもそのまんま剥き出しで入れてるし、真っ先に片付けなければと思った。そして、娘と同年代の輝かしい女性たちが働く姿を見たら、きっと失神するほど辛いと思ったから、とにかく職場は出向く必要のないよう、綺麗さっぱり跡形なくしなくては、と思った。

いくつかリストに書きだすと、私にも逃げ場がないわけではないのだ、今後平均寿命までの50年をただ悶え苦しんで生きなくても良いのだと少し安心して、止まらない涙も乾かすことができた。その後は買い出しのために外出して、夜になって帰宅した今は、日中とは少し気持ちが違う。「えっ、死にたいかって言われると、まあ冷静に考えて生きてる意味ないけど、やっぱ死ぬのは怖いっちゃ怖いな」という感じである。こうして生理3日目が終わる。恐らくここから先は、また1ヶ月後に生理さんと出会うまで、この恐ろしく落ちた気持ちはお預けである(多分)。それでも時には関係なく悲しみの底にたどりついてしまうこともあって、そんな時はただ朝から晩まで横になって泣いて、泣いて、泣きまくっている。

そういえば今日、気持ちが切り替わるきっかけが何だったかなと思い出すと、もう一つあった。もともと私は家では音楽をかけているのが好きで、spotifyやらyoutubeやらでいろんなプレイリストを常にかけていた。でも、夫が亡くなってから、思い出の曲を聴くのが恐ろしくて、死別後に自分から選んで聴いたのは、夫とは聴いたことがなかったオザケンだけである。でも、やはり静かすぎる空間も辛いので、ラジオを小さな音で流すことが多い。今日も泣いていると、ボブ・ディランのBlowin' in the Windが流れてきた。この曲は、私たちの交際前の思い出の曲だ。私からお誘いして数回デートやメールを重ねた夫くんに、そろそろ告白したいな!と思った。少し斜に構えている夫くんには、しゃれた告白をしないとなと思った当時大学3年の私は、終電間際の大学近くので駅で「私があなたに告白したら、なんと答えますか」と聞いた。夫くんは、「わかりません」と答えた。私はフラれたのかと思って、とても落ち込んだ。次回会った時、夫くんが私に同じ質問を返してくれた。「僕があなたに告白したら、どうしますか」。私は単純なので、気づけばムードもくそもなく、「付き合うに決まってるじゃないですかっっ!!!」と答えた。そして夫くんはその日、私にボブ・ディランのCDを貸してくれて、○番目の曲に答えがありますよ、と教えてくれた。それを聴くと、答えは風の中にあると歌っていた。その意味は全然わからなかったけど、私は家に帰ってから、にたにたと笑いながらその曲を何度も聴いた。彼はこういう音楽が好きなのかあ、これカントリーっていうのかなあ?(フォークらしい)。こんなゆったりした牧歌的な音楽を聴くなんて、なんて素敵な人なのかなあ、と思った。あの時は曲の意味はわからなかったけど、今日ラジオから流れてきて、感じ方が変わっていた。こんな風に死に別れてしまって、夫くんを想ってひとりで泣いてると、やけにしっくりとくる曲だった。まさに私の心の隙間にすーっと軽やかに入ってきた。人の器を亡くした後は、夫くんは風がよく似合うなあと思った。のんびり、ゆったり考えればいいんだよ、って夫くんが言ってくれているような気持ちがした。

この部屋に引っ越してきて、最初の晩、引っ越しを手伝ってくれた両親や、なぜか同乗して部屋をチェックに来てくれた祖母も、夕方には帰宅して、私はこの部屋に一人きりになった。しばらくパタパタと忙しくしてみたけど、ふと横を見ると夫の小さな骨壺があって、私は動きを止めた。思わずすっと息を吸い込んで、夫の骨壺を胸に抱えて、抱きしめた。普段は目もくれない骨壺。夫と思っていないはずの骨壺に、あの日は確かに夫を強く感じて、何か決心して抱きしめた気がする。そういえば、昨日でここに引っ越して1ヶ月だったんだ。今この瞬間に書いていて気づいた。私たち、頑張ってるな。夫くん、いつも優しい気持ちにしてくれて、ほんとにほんとに、ありがとう。