優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

2回目の美容院

今日は死別後2回目の美容院に行ってきた。

私の美容師さん(吉川ひなの似)はスーパー可愛い上に、接客業を心得ているのだなと感心する。私に対して、困るような質問や、ましてや慰めなんて、皆無。いつも万人受けしそうな話題を振ってくれる。それは楽しているように見えるかもしれないけど、そうでもないと思う。美容師さんだって、自分がしたい話とか、自分自身の話をした方が、ずっと楽だと思う。そこを超無難な話題で今日は3時間もつないでくれた。プロ意識がすごいし、職人だなあと思う。見た目からは、惑わされてしまうほど可愛いんだけどね。いつも良い時間を経験させてもらって、ありがたい場所だなあと思う。

今日の美容院のメニューは、カットと、カラーと、ハイライト。実は夫が生きている時は、基本的にカットしか頼まなかった。それは、夫と私ですごい家計管理をしていたから。もともと家計簿はつけてなかったけど、夫が疾病の影響で散財した時期があり、見かねた私が食費、日用品、デート代、2人のお小遣いを設定した。体調が回復していた時期の夫は、かなり難易度の高いその金額枠を、ゲーム感覚で乗り切ってくれている感じがした。本当にいろんな場所にせっせと買い出しに行ってくれた。ホワイトデーのデザートに、ミントの葉の代わりにプランターに私が栽培した「せり」が添えられたのは、その最たる事例だ。おかげで私の給料からは想像できないほど、とんでもない金額を貯金することができた。なにもかも、夫の几帳面で徹底した性格のおかげである。でも、このところ私自身が洋服に美容に家具に散財しまくっていることを考えるたびに、夫もまた、散財することで乗り越えられる苦しみがあったのだろうなと思って苦しくなる。今の貯金はすべて0になっても良いから、夫に散財を重ねて欲しかった、きっと遠慮しすぎて辛いことが多々あったのだろうと悔いが止まらない時間に陥る。

男女の差というものは、私にとっていつまでも憎いものだ。私と夫の場合、きっと私が男で、夫が女であれば、今の全世界的なコンテキストの中では、より幸せに生きられたと思う。私が女であったばっかりに、そして夫が男であったばっかりに、あらゆる社会的制約に縛られてしまった。そしてそれは、お互いの評価というよりも、きっと私と夫それぞれの自己評価に大きく影響した。私が夫を「男のくせに」と言ったことは一度もないし、夫が私に対して「女の分際で」と言ったことももちろん一度もない。2人の間では、ジェンダーというものは、なかったと思う。それでも、それぞれの中で、やはりひとりの人間としてこの2人の関係性に貢献したいという気持ちはあったし、それが自身のジェンダーと結びつくこともあったと思う。夫は、男であることに呪われてしまったのかなと思うことがある。

夫ほどに女性を見下さない人は見たことがない。性別に対する偏見を感じたことが一度たりともなかった。それは、人種差別などの研究で使われるimplicitの域においても、まったくなかった。とにかく夫から偏見とか差別を感じ取ることは、一度もなかった。夫は、きっと自戒的に言い聞かせてとか、implicitな自分の意識を努力して変容させたのではない、生まれながらにして、男女差への偏見がなかったのだと思う。そのことに私は今でも感嘆の気持ちが止まない。

でも、夫は病に陥る前後、義母の言葉も借りながら、自分を「男なのにこんな状態だ」と卑下していたように思う。「男たるもの」と幼少期から青年まで繰り返されていた言葉は、そう簡単には消えない。私が新たな正解を入れることも叶わず、もしかしたら私すら夫の男としての理想像と比較した言葉を繰り返していたのかもしれない。きっと、そうなんだ。夫が亡くなる前の数ヶ月は、とにかくなんでもかんでも責めていたように思う。「えっ?」って思って欲しいとか、「みんみんからこの要望が出るとは、相当だな」と思って欲しくて。結局どれもその意図は果たさず、ただ夫を傷つけて終わった。

今日美容院で、髪を染めて手持ち無沙汰な間、ケータイをいじっていた。途中でなぜかネットワークが悪くなり、ネットサーフィンは難しくなった。ただケータイを目の前において、待っていた。こういう静寂の時間は、実はとても苦しい。夫が美容院終わりに電話をくれた声を思い出した。「みんみーん!そろそろ終わった?かわいくなった?みんみんの髪型見たいから、僕いま表参道歩いてるよ〜」と。そんな夫のあどけない声が頭に浮かんで、抑えたいのに止まらなくて、鏡の前に置いたケータイを眺めて泣いた。

「シャンプーさせてもらいますね!」というアシスタントさんの声でハッと現実に帰った。

夫にはもう2度と会えない。あんなに暖かい言葉をかけてくれた優しい夫は、壮絶な死を遂げてしまった。そんなことを、シャンプー中も、その後のショッピング中も、帰宅してからも、寝る前の今も、ずっと考えている。