優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

スタートライン

コロナが流行しているので、義両親の上京は今月は見送ると連絡がきた。

夫くんの百箇日にあわせて来てくれる予定だったけど、緊急事態宣言もあるので、とのこと。

年始以来、ご両親とは連絡を取っていなかった。お互いやりとりして、なんだか苦しいものがあるからか、連絡の頻度が減っていた。今日は、すっごくささいなことなんだけど、もらったメールで、「(夫の名前)の百箇日は〜」とあって、その名前と法要が隣り合わせになっていることがすごくリアルで、気分が落ち込んだ。そして、夫が亡くなってから、100なんていう少ない日数すら、まだ経ってないんだなあと思った。そんな日数、いくらでも取り返せそうなのに。実際は、あの死の一瞬以降は、そこからどんなに近い時間にいたって、何も取り返せないんだけど。あの日のあの瞬間を境にして、生と死、白と黒、天と地、そんな決定的で不可逆な変化が起こってしまった。

ちょうど今週は、夫の相続関連のことをちょっと調べないとと思っていた。夫の銀行口座には、夫が働いていたときの貯蓄がある。一般的には、配偶者はこどもがいない場合、その2/3をもらうみたいだけど、私は夫ならきっとご両親に渡したいのではないかと思って、そう申し出ようと思っていた。そんな中、夫が大学に通うために利用した奨学金について、想定外のことがわかった。当然と言えば当然なんだけど、相続人は、奨学金の支払い義務も引き継ぐものらしい。奨学金の残金と、夫の貯蓄と差し引きすると、奨学金の方が多くて、足が出てしまう。そうなると、相続割合をご両親に多くすると、負債になってしまうから、そんなことならやっぱり私が全部相続した方がいいかもしれない。夫が大切に稼いだお金は放棄したくないから、相続放棄という選択肢は考えたくない。そんなことを調べながら、夫の無念を想像して、また泣いてしまった。夫の実家が、奨学金を借りないといけない状態に陥ったこと。そのことにずっと夫が傷ついていたこと。こうして亡くなってしまって、親にお金を残せなかったこと。でもそもそも、奨学金を彼が背負ったのは親の責任であること。

こんなことなら、入籍と同時に2人の口座から一括で支払っておけばよかったと思った。私と一緒になってから、夫はあんなにやりくりをして、たくさんたくさん貯金してくれていた。そこから払えば、すっきりできたのに。確か、一度くらいは提案した気がする。でも、夫はそういうことは嫌がる。そういうところも、真面目で、責任感が強い。私が夫のことを「主夫」になったと思っていたのと違って、夫は必ずまた社会に出ようと思っていたんだと思う。そして、自分で返済しなければと思っていたと思う。私は、一体どうすればよかったんだ。奨学金って、あんな風に毎月口座からお金が引き落とされていくんだね。記帳してみて、初めて知った。この数字に追われることも、夫のトラウマとリンクして、苦しかっただろうなあと思った。全部、夫にとってはプレッシャーになっていたのかな。

私は、自分の大学の費用は親に出してもらったし、生活費だってもらっていたように思うし、何もしなくてもお金が湧き出る家に生まれたというだけで、何故こんなに夫と違う経験をしたのだろう。生まれとか育ちの格差とは、本当に不公平だと思う。そりゃ苦労した分、立派な人になる人も多いかもしれないけど、やっぱり一番いいのは、平等なんじゃないか。教育の無償化って、そう考えると、本当に大事だと思う。

21世紀に取り組むことがあるとすれば、今平然と受け入れられてる格差や世代間の負の連鎖を解消することじゃないかな。だって、なんの合理性もないんだもの。

私、この家に生まれるために、なんの努力もしてないよ?

スタートラインが違うなんて、あんまりだよ。