優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

「遠くの親戚より、近くの他人」

私は数年前まで、自分の家族はとても理解のある人たちだと思っていた。

自分の家族に対して、私自身が苦しむほどの葛藤を感じたことはこれまでなかった。おそらく、家族環境への満足度は、ほぼ満点に近かった。

だからこそと言えばいいのだろうか。夫と私がもがいていることに対して、私の家族が遠目から見るようにしていたことが、ずっと大きな違和感として自分の中にあった。私はずっと、自分の両親をスーパーマンのように完璧と思っていたから、これほどに自分が大変になっている状況下で、「何をすればいいかわからない」と離れた場所から言い切られてしまうことに、がっかりしていた。怒りも、悲しみも、感じていた。

何をすればいいかなんて、県をまたいで離れた場所からは、当然わからなかっただろう。それでも、突然様子を見に押し掛けられて夫を変に刺激されても困るし、日時やタイミングを調整しないと、見にきてもらうことはできなかった。でも、そんな話になったら、面倒くさすぎて、誰しも日常的に介入する気は失せる。それはもう日常ではなくて、半年に一度のイベントでしかない。私の苦しみは日常だけど、両親にとっては、イベントなのだから、見えているものが大きく違った。私の両親は、私にとっては一番力になってほしい人だけど、本当の力になってもらうことはできなかった。

夫ともがく中で、そういうことに対する諦めも少しずつ私の中でつくようになり、私はイベント的でもいいから、自分の両親に相談やお願いをして、介入してもらうようにした。これまで、ずっと自由に生きさせてもらってきたのに、こういう困った状況になったら頼るなんてことは、確かにおかしいから、親の考え方も一理あるのかもしれないとも思った。夫も、私も、自立した大人であるべきだから。自分たちの人生がうまくいかないことの処理は、自分たちがやらないといけないのかなとも思った。そんな色んな考えが私の中では巡っていた。

今日お昼を食べながら、一体どんな制度があれば夫と私が救われたか、両親と話した。私は、「もっと私たちの苦しみの中に入り込んで、一緒に考えてくれる人がいればよかった」と言うと、両親は自分たちがもっと何かした方がよかったのかと聞いてきた。その質問は、きっと「いや、お父さんとお母さんは十分やってくれたよ」という答えを期待していたのだろう。私は、「そうだね、無理だったと思うけど、もっと入ってもらえれば良かった」と言うと、少し慌てていた。そして、あんな風にも、こんな風にも支えたと挙げてくれた。「前にみんみんだって、近くで支える人と、少し外から支える人が必要だって言ってたからさ」とも言われた。

でもさ、私にとって夫の次に近い人間は、お父さんとお母さんなんだよ?

そのお父さんとお母さんさえ少し外から支えてたら、一体だれが近くで支えてくれるの?

少し外から支えるのって、楽なだけじゃん。

それが親に求める本当の役割なわけないじゃん。

そんな確認を、夫が死んだあとに、私にしないでほしい。

言わなかったけど、そんなことを考えて、私は歪んだ表情で、親の言うことに頷いた。

夫の死後、私は自分の親に亡くなるまでの支えを感謝した。気持ちが落ち込んだ日に、「誰も駆けつけてくれなかった」と嘆いたときにも、自分の親はその対象から外すように話した。でも、本心は、違う。ずっと両親に、駆けつけてほしかった。もっと積極的に、一緒に悩んで、考えて、毎週、一緒になって次の一手を一生懸命提案して欲しかった。

実際は、ちょっと違った。ずっと気にかけてくれたけど、一緒に泥んこにはならなかった。一緒に泥んこになることをお願いすると、どことなく面倒臭がられたり、嫌がられたり、何度も意味を説明しないと、力になってもらえなかった。こんなことを夫が亡くなった後で両親にぶつけても、恨み合いみたいになってしまうし、何より両親の中でこれ以上夫に悪いイメージを持ってほしくないから、面と向かって言えないだけ。しかも、私だってどう助けて欲しかったのか、言葉にすることはできない。夫と言い合いをしながら、この瞬間に誰か入ってくれればいいのにとか、夫の緊張が少し解けた瞬間に、ここで誰か力を添えてくれないかとか、そんなことを思っていた。私ができたのは、そういうことを夫と2人きりで経験した後に、疲れ果てて親にメッセージして、親からは「そうなんだ、前と違うね」とか「変化を感じるね」とかそういう声かけをもらった。それだけでも有難いことだし、辛抱強く対応してくれたんだけど。それはわかっているけど、正直な心で言えば、それでは何も足らなかった。夫の力になるには、私1人では、力不足だった。

夫に関係した誰一人として、「自分はできることを十分した」なんて思っちゃいけないと思う。それを一番思って良いとしたら、孤軍奮闘していた私だし、私はそんなこと全く思っていないから、私以外の人はそんな救いを自分に与えないでほしい。誰も、夫の力になんて、ならなかったんだから。ならなかったからこそ、夫は亡くなったんだから。

私と夫が2人だけであの沼から抜け出すことはできなかった。もっと色んな人に、私たちの沼に膝まで一緒に浸かって、同じことを悩み、共に考えて欲しかった。膝まで浸かってくれる人は、最終的にはいなかった。そのことに、ものすごく大きな苦しみがある。

本来は、家族の中で、力を合わせられたら良かった。家族でありながら、夫と私以外が膝まで浸からずに、沼の外で過ごしてしまったのは何故か。一番大きな原因は、「物理的な距離」だと思う。どれだけネットや通信が発展したって、やっぱり物理的な距離は、とても意味を持つ。もし家族でないにしても、一緒に伴走してくれる他人が近くにいたら、私たちはあれほど孤立しなかったかもしれない。

「遠くの親戚より、近くの他人」

これは、本当に、本当なんだなあ。核家族化が進んだ世界では、尚更これを身に染みて感じる。この近くの他人同士が、どうしたらもっと愛情や関心を注げあえるようになるのだろう?

今日のお昼は、元々、そんな話を親としたかったのだけど、だいぶ外れちゃったな。