優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

楽しかった伊豆大島

ぼけーっとテレビ番組を見ていると、15分に1回くらいは夫との思い出にぶつかる。

ひと昔前のように、お金をかけたスタジオ中心の番組制作がされていれば、テレビの内容が私のような一般人の思い出とリンクすることも、なかったかもしれない。

でも最近の番組は、私が夫と楽しんだ日本各地の風景とか、食べ物とか、観光スポットとか、そういうものが映ることが多い。元々、そういう番組の方がスタジオで大騒ぎ、みたいなものより好きだけど、やっぱり夫との思い出のど真ん中を突いてくる内容は、きつい。

今日は、海外からの旅行客がブラックサンダーが大好き、という紹介映像の後で、「ブラックサンダーは、あの内村航平選手の好物で一躍有名になったお菓子」とナレーションが流れた。内村航平と聞くと、私は夫のことを思い出す。夫が亡くなる2ヶ月くらい前、「みんみんが好きな内村航平が、今夜プロフェッショナルに出るよ」って教えてくれた。私は、確かに内村航平がかっこよくて好きだけど、番組を見るほどのファンではなかった。でも、体調の悪い夫がテレビ欄を見て、そのことを私に教えようと思ってくれたことが嬉しくて、嬉しくて、一人でその番組を見た。見ながら、ずっと夫のことを思い浮かべていたときの光景を思い出す。あの白い壁に、壁掛けテレビで番組が流れていて、私の頭の中では、番組とは関係のない色んな思いが渦巻いていた。一体2人の救いはいつ来るのだろうという、先の見えない不安に半ば潰れていた。あの時ならまだ、夫の命を守れたのに。あのまま、私が歯を食いしばっていれば、夫は今も生きてるのに。

今日の番組では、ブラックサンダーの話の後で、また別の旅行客がフェリーに乗って、伊豆大島に渡っていた。これにもまた、夫との思い出の地雷がある。いちいち書いてたら、これから私のブログは地雷ばなしだらけになっちゃうんだけど・・・でもそれが思い出と共に今を生きるということだから、しょうがない。

私が夫と交際を始めたのは21歳になったばかりの頃で、夫はまだ誕生日前で18歳だった。ずっとお泊まり旅行はダメと親に言われていて、初めて親公認で行けた旅行が、交際から3年以上(!)経ったあとの、伊豆大島へのフェリー旅行だった。伊豆大島へのフェリーは、東京の竹芝から夜出港して、翌日早朝に大島に到着する。この旅行が親に認められたのは、何を隠そう、宿泊場所がフェリーで、その寝方も大広間に雑魚寝だから(笑)夫と2人でフェリーに1泊して、朝から夕方まで伊豆大島にいて、夜には東京に大人しく帰った。なんという従順な2人!そんな制約は色々あったけど、この旅行が、とても楽しかった。フェリーから夫と見た朝焼けは、これまで見たことないほど鮮やかで、オレンジと紫のグラデーションがすっごく美しかった。大島に到着してからは、公共の温泉に入ったり、風呂上りに牛乳を飲んだり、おいしいお寿司を食べたり、海辺ではしゃいだりした。帰りの時間も近くなって、夕方に大通り沿いを夫と歩いていたら、なんと近くの民宿の方が車で駅まで送ってくれた。その民宿に泊まってもいないし、これから東京に帰る見ず知らずの観光客を送ってくれるなんて、その優しさに驚いて、今でも忘れられない。もしかしたら、帰りの便に間に合わなくて、走っていたんだっけ。そういう細かいところは私は忘れてしまう。だからこそ思い出話には夫が必要なのに。こういう思い出があるから、大島は、私にとっても、きっと夫にとっても、大切な場所。あの思い出の島に、また夫と行きたいと、ずっと思っていた。

テレビ番組では、4人家族が仲良くフェリーに乗っていた。その後日本中も、さらには世界中も旅をしていた。お父さんと、お母さんと、可愛いちびっこが2人。なんで私はもう、夫と旅ができないのかな。私も夫と一緒に家族を増やしたかったし、一緒に旅をしたかったし、あんな風に楽しい時間をたくさん、たくさん過ごしたかったな。

もうそういう運命だからしょうがないんだけど、まだ当面は、あるいはこれから一生は、どんなものを見ても、聞いても、こういうことをたくさん思い出すことになりそう。こうして懐かしんで、悲しんで、夫のことを愛おしく思う気持ちが、夫にもどうにかこうにか、伝わってるといいなと思う。