優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

治療に向き合う

今朝は体が鉛のように重たかったけど、朝から祖母の通院の付き添い。出発時間の1時間前から起きるように声かけてもらってたけど、全身が布団と一体になってるくらい重かった。起きるには地面丸ごと起き上がらないと無理だなと思った。それでも出発6分前に起きて、着替えて、無事病院に到着した。

病院にくるのは夫の救急搬送以来。朝一から院内にびっしり人が待ってるのを見て、通院なんて誰しもやってるんだなあ、と思った。夫は自分が何かおかしな世界観にハマってることは自覚していたけど、それを医療で治そうとは思っていなかった。私も、これまでの人生は病院と無縁だったから、夫が病院を恐ろしがるのは無理もないと思ってた。でも、今日みたいに老若男女、色んな人が病院にいる様子を見たら、これが、日常になったりするのかなと思った。夫も、そして私自身も、病と共に生きることは拒絶していた。人生の大逆転で前より幸せになるくらいの気概でいたと思う。死んでしまうほどの衝撃がなければ、私たちが日本の精神科医療を肯定することは難しかったと思うけど、今なら死ぬよりはマシと思えるのかな。
 
もう一つは、夫が医療を避ける中で、私にも確信のような考えが芽生えていた。夫の苦しみは、夫一人で築いてきたものではない。彼の人生に影響を与えてきた様々な人との対話を通じて、夫はもっと自分に寛大になれる、自分をようやく許せるようになるのではないか。そのためには、周りが手を汚さないまま夫だけ病院に放り込むのではなくて、私を含む彼の大切な人々が、未熟な自分を認めて、彼のためにも成長せぬばならない。
 
こんな原始的な遠回りをして、多方面に働きかける内に、夫は待ちきれなくなって、逝ってしまった。夫の苦しみや死は、本人の生き方だけでなく、まわりの生き方も投影している。いつも自分中心に生きてきた夫の周りの人物たちが、夫第一で彼に寄り添うことは、一朝一夕でできるものではない。むしろ、かなり強烈な洗礼と、人格矯正プログラムを受けなければ、人は変わることはできない。そんなプログラムは世の中に存在しないし、働きかけを通じてこの体制を作り上げる他なかった。人は変わることができるとひたすら信じて。この全てが功を奏し、周りが夫に向き合う覚悟がようやくできた正にその日に、夫は亡くなった。
 
夫はいつも周りに気を遣い、周りに価値をおき、自分は後回し、自分に誇りを持たない人だった。優しいということは、その優美な言葉の裏に、それだけの深い苦しみも併せ持っているのかもしれない。優しい人に幸せが訪れる世界になってほしい。