優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

神道の五十日

今日は神道では夫の五十日にあたる日らしい。私が色々と宗教行事を持ち出すので、親からはキリスト教イスラム教の行事もやるのかと聞かれた。いやいや、やらんよ、でもユダヤ教ヒンズー教はやろうかな。ひねくれ者の私。結局は、夫が何教なのかわからないので、仏教と神道は意識しようかなと思った。でも、昔読み物としての聖書は興味深いと言っていたので、キリスト教も関心あるのかな。今、夫は一体何教になってるんだろう。

最近よくやってるのは、一年前の同じ日付の日記を読み返すこと。一年前の今日も、私は夫と喧嘩していた。これまでに唯一くらいに面と向かって夫から指摘された私の大欠点、こうと決めたことへの拘りが強いと言うこと。そんな自分の欠点を、日記の中の自分の文章から痛感した。ただでさえ苦しんでる夫に、色々と問題点を掲げて、解決するための要求を出して、対応を迫ってた。本当は、夫を責めたい訳じゃなかったし、すぐ対応できるわけはなかった。今2人がどれだけ異様な状態にいるか、夫が目を覚ましてくれると期待して喚いていたでも、今読み返すと、全部全部、思い込みの激しい指摘ばかりで、ただの塩の擦り込みで、夫に向けて伝えるべきメッセージではなかった。

数日分を読み返しながら、自己嫌悪で頭がズキズキと痛くなった。こんな頭痛を今後一生与えられておかしくないほど、読んでいて著者が恨めしい日記だった。

今日もまた、夫に謝りたいことを見つけてしまった。夫は記憶力が良いので、きっと私が放った無神経で混迷を深めるようなメッセージは、最後の最後まで夫の記憶に残り、苦しめたことだろう。

夫が神道ならば、今日から夫は心の汚れを落とす修行をしたり、私の守護神になってくれるらしい。そんな次のステップに夫が進もうとする前に、私のこの気づきと自覚が間に合って、よかった。

夫くん、私はもう自分の大きすぎる過ちと思い込み、しかもそれが闘病の最初から最後まで、色んな場面で溢れていたことを、痛いほど自覚しました。夫くんには、申し訳ない気持ちでいっぱいです。あなたは何も悪くないし、何も責められるべきじゃない。心が汚れてないと、修行はちょっとになるんだって。だから夫くんの修行はすぐ終わると思う!それで、フカフカのわたあめみたいな椅子に座って、お疲れ様って美味しいハーゲンダッツをもらえると思う。

こんな私で、本当にごめんね。