優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

夢に挑戦するということ

今日は気持ちが止まってる日みたいだ。

悲しみはないので、涙はない。ただ、胸が締め付けられて、息苦しい1日だった。

原因は、夫がどれほど大変な日々を私の隣で歩んでいたのか、改めて認識したから。きっかけとなったのは、昨日ネットで、夫と同じような夢を持った人へのアドバイスを読んだから。プロの芸術家を目指すなんて、心を病むから、やめなさいって書いてあった。そんなに苦しいものだって、私はわかってなかった。わかってたら、もっとそのことについて話したのにな。人生設計が、夫も、私も、本当に甘いんだ。

夫も私も、2人揃って同じタイミングで、それぞれの夢に挑戦した。もう、何年も前から計画していたこと。お互いが夢に挑戦している時間だったから、お互い優しくなれなかった。相手が「うまくいかない」とへコんでも、「君ならもっとできるはずだ」って、お互い思ってた気がする。相手に抱いた理想とか、夢とか、愛とか、期待とかが全部募って、「あなたにはきっとできる」、「今、ここで諦めないで」と思わせる。

私は自分が挫折に落ちきらないよう、いろんな手配をしていた。だから、夫から鼓舞されれば、それがいつも通り私の力になった。でも、夫は落ち切っていたんだと思う。だから、私は鼓舞している場合じゃなかった。むしろ、落ちきらないように、事前にもっともっと丁寧に一緒に考えるべきだったし、落ち切ったのであれば、救急処置が必要だったのだと思う。

夢に挑戦できることは、本来、幸せなことだ。夢に挑戦する機会を得ない人の方が多い。でも、挑戦できても苦しいことも、たくさんある。振り返ってみれば、人が一番苦しむのは、夢に挑戦する過程で、その夢が自分には到底、到達できないと自覚する瞬間。この夢がもう夢でなくなった時が、一番苦しいのではないかと思う。

配偶者が心の病に至る過程を、どう防ぐことができたのか。これは本当に難しい問いだと思う。相手が健康ではない様子はなんとなく感じてても、そもそも心の病について知識がないので、またいつものようにそのうち元気になるのかな、と思ってしまう。相手は子供じゃないので、事細かに様子を確認したり、過度にオロオロすることは避けたい、とも思う。それに、私たちの場合、昔はなかったような衝突がその前後で頻発していて、元々ものすごく仲の良かった2人が、相手を少し憎たらしく思うような、そんな関係性になってしまっていた。それに、これまでパーフェクトな存在だった相手の格好悪い姿をたくさん、たくさん見て、お互いに対して冷ややかだったと思う。

それでも、私は自分の立場を安定したものにしていった。私は自分の状態を何度か地域のカウンセラー に相談しに行った。それは自分の心がとても苦しい気がしたからで、やはり人に聞いてもらうことで少し気持ちが軽くなった。でも、夫にはカウンセリングを受けやすい環境すら準備してあげられなかった。そもそも、夫が受けられる言語が提供されていなかった。「夫くんの方が、カウンセリング必要そうって言われたよ」とだけ伝えたことが、夫をどれだけ孤立させただろうと思う。

怒涛の1年が終わったとき、私には戻る場所があった。夫は、全て失い、何もなかった。

やっぱり、「お互い」という言葉を使うには、あまりにバランスを欠いていた。

あの1年間、私はとても苦しかった。でも、夫は比較にならないほどに、苦しかったと思う。

そして、その後さらに苦しくなり、今やこの世からいなくなってしまった。

また暗い話になっちゃったな。ずっとこの行き来をしている。幸せな思い出が山ほどあるのに、夫の力になれなかった自分が許せなくて、思い出に浸れない。

浸れない日もある、そう思うしかない。