優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

施設側とのやり取り

夫の死を回避する方法は、あった。

事前に夫がいる部屋について誤情報を提供されたことが、夫が亡くなった直接の原因になった。

設備面のリスクを想定して、事前に責任者に確認していたのに、その情報が間違っていた。正しい情報をもらえていれば、夫は今、死んでない。それは、確実に。

責任を問われるべき会社は、ある。でもずっと連絡していなかった。それが、夫の四十九日に、その会社から自動配信で新年の挨拶メールがきた。

思わず、こんなメールを送ってこないでくださいと返信したら、業務的な数行のメールがきた。申し訳ありません、アドレスを解除ください、と。このメールを書いた人物も、亡くなる前の数日間、夫を追い詰めた人だ。ものすごく悔しい。私だって一個人を恨んでないけど、何も関係のなかったような相手の態度に猛烈な虚しさを感じる。

瀕死の夫に対して、救急車だって到着まで20分かかったし、経路が複雑すぎてずっと運び出せなかった。施設側が搬出ルートを準備するはずが、責任者が現場から雲隠れした。救急隊の怒号が何度も何度も飛んでいた。「まだ?」と。きっと、一刻も早く病院に連れて行く必要があった。施設側は、夫の命を守ることより、社内のどうでもいい連絡でもしていたのだろう。夫の発見から搬出まで、30分以上かかった。

施設側とのメールはまだ続いてる。きっとやり取りを続ければ、続けるほど、私の傷はえぐられる。夫のことをあれこれと言われるだろう。

夫は、どう思ってるだろう。争い事は嫌いだから、騒ぎを大きくして欲しくないと思ってるかな。夫だって悔しい気持ちはあるだろう。こんなことになっていなければ、って。でも、夫が言いそうなことを更に想像していくと、みんみんがつらくなることはこれ以上しない方がいいんじゃない?って言ってくれる気がする。その声を想像して、泣く。あの声に、優しく穏やかに誘われて生きてきたのにな。

あんな新年メール、送ってくんな!人の不幸を願う私の心理が、むくむくと湧く。歯軋りして、泣く。何やっても、救われない。

本当は、夫も私も、好きな場所だった。思い出だって、ある。

誰にもどこにもぶつけられないこの有り余る悔しさを、一体どうすれば良いんだ。