優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

KAN

今日は、久しぶりに、また泣いた。

今日は、自分が可哀想になる日だった。

いつもいくらでも保身とかして、嗚呼かわいそうなわたし、って実態としては思っているんだけど。今日は、気付いたら「なんか私可哀想じゃない?!」って独り言を言っていた。

今日20時過ぎまで働いて、パソコンを閉じた瞬間、口を突いて出た言葉。

だって、こんなに大切な人が体調を崩して

こんなに大切に思ってたのにその病の一因を負って

こんなに捧げられるものは捧げたのに回復してもらえなくて

こんなに悲しい死の場面に遭遇して

亡くなって悲しいのに、単純に悲しめなくて、

悲しみと同じくらい自責もしなければずるい人間な気がして

何重の苦しみなんでしょう、これは?

自分がこの世の誰よりも可哀想と言うつもりは全然ない。むしろ自分の播いた種だから自業自得と言われたら終わり。でも、ちょっと待って、私史上、これは最も可哀想な状態。

夫くんなんて、もう死んじゃったから一番可哀想。全てにおいて、ものすごく可哀想。

でも全てが終わった夫くんと、まだ終わってなくて生きている私は違った意味で可哀想。

ある種、それは病があっても生きてる方が良いか、死んだ方が楽かっていうのとちょっと似てる。死んだ方から見ると、生きてるだけで丸儲け、となるのだけど。生きてる方からみると、死んだら楽になるの?と思う。

夫が亡くなったことは私にとっての病ではないけど、心の深すぎる傷ではある。もう心なんてぶっつぶれたかもしれない。私は今後、いくら輝いて、飛躍して、たとえこの地球のスーパースターになろうとも、夫くんを失った事実は、覆せないし、乗り越えるものでもないし、私を構成することの一部となってしまった。夫と一緒にいられたことが私の一部になっていることは、嬉しい。でも、失ったことまでも一部になってしまった。もう、こんな悲しみを背負いながら、心から「はー、幸せー」とか、「めちゃくちゃ幸せ者だな、私」とか、思うことはないのだろうな。思えるわけがないもんな。ささやかな幸せとかはあるかもしれないけど、底抜けの、なんの躊躇いもない幸せは、もう私は失ってしまったなあと思う。それは、とても悲しいことだと思う。うん、とてもとても悲しいことだ。幸せの喪失、という感覚。夫が亡くなるということで、そう決定付けられた。夫が生きていれば、闘病していようと、そういう風に思うことはなかったんじゃないかな。

可哀想ついでに、闘病中の自分の日記を読み返した。どこの大恋愛中の乙女が書いたのですか?ってくらいの純愛日記に胸を痛めた。間違いなくこの人は夫が大好きで、なにかを捧げてたよなと思った。これだけの想いを相手に持っていながら、愛が勝たなかったんだ。

もう歌詞を変えないといけない。愛は、勝たなかったよ?