KAN
今日は、久しぶりに、また泣いた。
今日は、自分が可哀想になる日だった。
いつもいくらでも保身とかして、嗚呼かわいそうなわたし、って実態としては思っているんだけど。今日は、気付いたら「なんか私可哀想じゃない?!」って独り言を言っていた。
今日20時過ぎまで働いて、パソコンを閉じた瞬間、口を突いて出た言葉。
だって、こんなに大切な人が体調を崩して
こんなに大切に思ってたのにその病の一因を負って
こんなに捧げられるものは捧げたのに回復してもらえなくて
こんなに悲しい死の場面に遭遇して
亡くなって悲しいのに、単純に悲しめなくて、
悲しみと同じくらい自責もしなければずるい人間な気がして
何重の苦しみなんでしょう、これは?
自分がこの世の誰よりも可哀想と言うつもりは全然ない。むしろ自分の播いた種だから自業自得と言われたら終わり。でも、ちょっと待って、私史上、これは最も可哀想な状態。
夫くんなんて、もう死んじゃったから一番可哀想。全てにおいて、ものすごく可哀想。
でも全てが終わった夫くんと、まだ終わってなくて生きている私は違った意味で可哀想。
ある種、それは病があっても生きてる方が良いか、死んだ方が楽かっていうのとちょっと似てる。死んだ方から見ると、生きてるだけで丸儲け、となるのだけど。生きてる方からみると、死んだら楽になるの?と思う。
夫が亡くなったことは私にとっての病ではないけど、心の深すぎる傷ではある。もう心なんてぶっつぶれたかもしれない。私は今後、いくら輝いて、飛躍して、たとえこの地球のスーパースターになろうとも、夫くんを失った事実は、覆せないし、乗り越えるものでもないし、私を構成することの一部となってしまった。夫と一緒にいられたことが私の一部になっていることは、嬉しい。でも、失ったことまでも一部になってしまった。もう、こんな悲しみを背負いながら、心から「はー、幸せー」とか、「めちゃくちゃ幸せ者だな、私」とか、思うことはないのだろうな。思えるわけがないもんな。ささやかな幸せとかはあるかもしれないけど、底抜けの、なんの躊躇いもない幸せは、もう私は失ってしまったなあと思う。それは、とても悲しいことだと思う。うん、とてもとても悲しいことだ。幸せの喪失、という感覚。夫が亡くなるということで、そう決定付けられた。夫が生きていれば、闘病していようと、そういう風に思うことはなかったんじゃないかな。
可哀想ついでに、闘病中の自分の日記を読み返した。どこの大恋愛中の乙女が書いたのですか?ってくらいの純愛日記に胸を痛めた。間違いなくこの人は夫が大好きで、なにかを捧げてたよなと思った。これだけの想いを相手に持っていながら、愛が勝たなかったんだ。
もう歌詞を変えないといけない。愛は、勝たなかったよ?