優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

夫の料理

明日がアパートの引き渡し。まだクリーニングとかあるから、また立ち寄ることはあるかもしれないけど。夫と最後の結婚生活を送ったあの場所も、見納め。もう、どうすることもできないから、単なる諦めの境地だね。明日、あの場を去るときに、どうしようもなく苦しく悲しい気持ちになるのかな。それとも、不思議なほどに淡々とした気持ちになるのかな。自分で自分がどうなってるのかわからないから、予測がつかない。晴々とした気持ちになることなんてあるんだろうか?そんなわけは、ないよね。

今実家からこうしてアパートの中を思い浮かべると、とてつもなく苦しい気持ちになる。もう、あの場所にいけない。あの一室で、夫が体調の回復を目指しながら、半年間にわたって出してくれた料理の数々。不安な中、2人で歩み寄って乗り越えようとした苦しい日々。体調を崩してからも家計のためにあらゆる場所に買い出しに行ってくれて、我が家のキッチンは常に食材を切らすことがなかった。あんなに頑張ってくれてたのに、私だって感謝していたのに、その声が本当の意味で夫に届くことは、なかったのかな。夫が求めていたのはそんな慰めではない、もっと自分の根幹に関するものだったんだよね。でも、本当は、2人のこのささやかな生活さえも、あなたの根幹を成す、大切なものなんだよと、言葉にできたらよかったのかもしれない。夫は、もっと何かをしなければ、自分はこれでは満足できていない、と自分を追い詰めていったように思う。あの時の、夫と私の間のボタンのかけ違いを、どうしたらもっと縮めることができただろうか。それとも、かけ違いなんてなくて、私の本心が当時は夫とシンクロしていたのだろうか?もっと回復してほしいというプレッシャーにもなる期待が、私の言動に見え隠れしていたのだろうか。

夫が丁寧に作り上げた料理を出してくれるたび、私は涙がでるほど嬉しかった。休日ならアメリカ仕込みのバナナパンケーキ、おしゃれにベリーを散らしたサラダ、クミンでソテーした人参、トマト入りのオムレツ、しゃきしゃきのグリーングレープに、淹れたてのブラックコーヒー。平日は、いろんな国の料理を作ってくれた。フェットチーネのトマトパスタもあれば、台湾のおにぎりとミルクスープの朝食もあった。ガパオライスだって作ってくれたし、バーガーも出してくれた。でも、何より私が嬉しかったのが、夫の優しい味付けの和食。丁寧に丁寧に切った野菜は全て形が均一に揃っていて、どれほど時間をかけてみじん切りをしてくれたかわかるようだった。だし巻き卵は、手作りで見たことがないほど、薄くて均整が取れて、美しかった。お醤油やだしはもちろん、ゴマやお酢なんかの使い方も、とっても上手だった。どれもふんわりとした味付けで、濃くもなく、薄くもなく、口に運ぶだけで幸せな気持ちになった。

おしゃれな岩のプレートを買ってからは、小料理屋みたいにおかずを並べて盛り付けてくれた。3種の惣菜、よろしく!なんて言いたくなるような素敵すぎる盛り付け。

その日の写真があって、今、その日の自分の退社時間を見たら、21時だった。家についたのは、22時前。夫はどれだけ待ってくれていたことだろう。おかずを次々にたくさん作って、帰ってこない私をどれだけ待ち焦がれてくれていたことだろう。

それなのに夫はいつも、「みんみんお仕事頑張ってね」としか言ってくれなかった。もっとわがままをぶつけてほしかったのに、ぶつけるところを準備できなかったのも、私。

本当に心から申し訳ない。申し訳ないことしか、でてこない。