優しくて可愛くてかっこよくて大好きな夫と死別しました

事故か自死か。夫が消えた人生をこれから歩みます。なんて自分が書いてることが信じられない35歳です

梅雨にぴったりな気持ち

100回悲しんで、100回泣いて目が腫れて、100回後悔して、100回写真を見て愛しんで。

夫が亡くなってから、もう200日経ってるから、100回どころじゃない。少なくとも200回か。

もう何をどうしたって、夫は帰ってこないのに、頭の中が、常に、常に、たられば。あの時Aさんがこうだったら。Bさんがああだったら。Cさんがこうだったら。そして私自身が、あの時、この時、いやいやあの時も、この時も、ああだったら。こうだったら。そうしていれば、結果は違った。そのどれも間違ったことをして、この最悪の結果に至ったこと。

Aさんに腹を立てて歯軋りする日もあれば、Bさんがしたことで頭痛が止まらない日もある。考え直してAさんには何を言ったって無駄だと思う日もあれば、今度はCさんを呪いたくなる。

脳内が、ずっと戦争状態。パチンコ玉が、終わりのない芸術作品みたいに、ただ無限に怒りの壁に当り続けて、その動きを脳みそが追いかけている状態。

そのうち私は一人暮らしが始まる。音のない一人暮らしの部屋で、このパチンコ玉を頭の中に抱えていたら、私はどうなるんだろう。一体、どうなっちゃうんだろう。

一人暮らしはまだ早いかもと思うけど、実家にいる自分も、嫌だ。

家族に頼る自分が嫌だ。夫のことでいろんな気持ちが周りに対してあるのに、結局家族に頼っている自分。今、私がお世話になったら、また彼らが困っている時にお世話に走らないと自分を許せなくなる。もう、そのループから抜け出したいと思う。私が困った時、困り果てた時、私が願った通りに振り向いてくれる人は、いなかった。冷たいなと思った。みんな、自分の人生は自分でどうにかしているんだ。そういうもんなんだ。心が一つ、貧しくなってしまったなと思う。

周りからしてみれば、そんなに言うなら、あの時どうして欲しいか言ってほしかった、と言われるんだろうな。でも、困っている人は、ただでさえ周りに迷惑をかけている自覚がある。困っていることの一つが、周りに迷惑をかけていることなんだ。だから、駆け寄ってくれた人がいたとしても、遠慮して1、2程度のお願いしか発せない。迷惑をかけるから。そのたった1、2の言葉を発したときに、反論されたり、否定されたり、疑問を呈されると、その先の3、4のお願いはもう口にすることができない。困っていることを隠すことしかできない。

夫のことで苦しすぎるのに、みんなに申し訳なさすぎるのに、そんなに能動的に助けを求める力なんて、あるわけがなかった。どうして助けて欲しいのか、どうしてあなたに助けてほしいのか、そんなことを、あの孤立無援の私が、あの時言葉にして助けてくれるべきだと説得するパワーなんてなかった。

ニュースでも、人が悲しい亡くなり方をすると、「相談してくれればよかったのに・・・」と言うコメントをよく耳にする。私ですら、今でも昔の夫に対して、そう思うことがよくある。なんであの時、そんなに苦しかったのならば、それを言葉にして私に伝えてくれなかったのか、と。でも、その人が生きてる時は、たとえその状況を知ったって、知らんぷりしたのは自分。夫から見たら、私がその最たる例。そういうのを、見殺しというんだ。あとからなら、なんとでも同情できるから。

私が明日幸せな気持ちでいっぱいになることはありえないし、1年後でも、10年後でも、死ぬ間際でも、「あのときのことはしょうがなかった」、なんて思うことはない。悲観的にならないことなんてできない。後悔しないことだってできない。自分を責めることが間違っているとも思えない。夫を失った悲しみと後悔は、一生ものであり、私の一部だ。もうどうしようもない。

 

一人暮らしになったら、私は今のように会話する相手がいなくなるし、余計に閉じていってしまうのだろうか。この臆病者が、何か新しいことを始めたりするのだろうか。

去年の今頃は、自宅で梅干しをつくっていた。梅雨が明けてから、日に干して、とっても上出来のおいしい梅干しができあがった。梅の種で、クワス というサイダーも作った。じめじめした季節に、美味しいなあ!と思った。来年はもっと状況が落ち着いているといいな、梅酒だって作ってみたいし、お味噌だって作ろうかな。豆板醤も作ってみたいな。お料理教室に通いたいな。洋裁だって習ってみたいし、そういえば夫と社交ダンスだってやってみたいんだった。

そんなふうに、色々考えてたな。あの時だって、生活が破滅的な状態になっていて、とても遠い未来の夢でしかなかった。けど、今はもう、その夢さえなくなった。去年の今頃は、2人の最後の喧嘩をした。あの喧嘩をせずに、もっと私が我慢できれば、夫は今、生きていただろうか。喧嘩しながらも、夫の反応をみていた。距離を置いたように見せて、何度も夫の様子を見に行って、影から見つめていた。衝突した結果、何か良い効果がないだろうか、なんて考えていた。憎い気持ちなんて、本当に本当になかったのに。それだけは夫に信じて欲しい。私は、夫が大好きだったのに。

本当に夫には、言葉で表せないほどの、申し訳ない気持ちばっかり。